先日、米国のウェッブサイトをいろいろ覗いていたら、”Find a Grave”(お墓はどこか)という著名人のお墓探しのサイトを見つけた。
そこには勿論、チャーリー・パーカーの項目があり、お墓もあった。ページのトップに、生年月日、誕生地、没年月日、死去地、そして埋葬墓地が記載され、お墓の写真がアップされている。その下に、チャーリー・パーカーの業績を書いた文章が続き、このサイトを訪ねた人たちのメールによる献花がある。
https://www.findagrave.com/memorial/1426/charlie-parker
<ミズーリ州カンザス・シティのリンカーン墓地。チャーリー・パーカーの墓のそば>
<チャーリー・パーカーの墓石。左側は母アディ・パーカーの墓石>
さらに、これが興味を引いたのだが、パーカーの親族の項目があって、母アディ、四人の妻レベッカ、ジェラルディーン、ドリス、チャン、実子のレオン、プリー、ベアドのページにつながっていた。
それらをクリックして見ると、それぞれの人に関し、追跡調査した結果(2019年更新)が記載してあるではないか。また、母アディのページには父チャールズの項目があって、これを見るとチャールズだけでなく、異母兄ジョンについて調査した結果も載っている。
トム・ネルソンという奇特な人が、役所に保存してある出生証明書、結婚証明書、国勢調査や各州の住民調査などの記録を閲覧し、調査したのである。しかも、重要ないくつかの書類はPDFの画像で見ることができる。本人あるいは親族が適当に申告したのだろう。誕生地(州だけ)などは書類によって記述の違いがあり、どれが正しいのか分からない。しかし、それでも、既刊のパーカーの本にはまったく触れていない事実がいくつも明らかにされていた。おかげでパーカーの幼少年時代に関する疑問点がかなり解決した。
次回、チャーリー・パーカーの父母と幼少年時代のことで新たに分かった事柄を書きたいと思う。
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