ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「殺意の瞬間」は恐ろしい映画だった。この映画はサスペンスでもスリラーでもホラーでもない。あえて言えば犯罪ドラマで、中年男をだます若い女の魔性を余すところなく描いた作品であった。女という生き物はなんと恐ろしいものか、とつくづく思うと同時に、男っていうのはなんて馬鹿なんだろうと身につまされる映画なのだ。
パリの中央市場の近くにある高級レストランのオーナー兼シェフがこの映画の主人公である。この役を演じるのは私の大好きなジャン・ギャバン。初老にさしかかった五十男で、料理の腕は一流、客の接待もソツがなく、レストランは大いに流行っている。しかし、寂しいかな今は独り者なのだ。
ある日、このレストランに二十歳そこそこの若い女の子が訪ねて来る。貧しい身なりで化粧もしていないが、素顔が可愛らしく不思議な魅力を持っている。気立ても良さそうで、清純な子に見える。ダニエル・ドロルムという女優がこの役を演じているのだが、これが素晴らしく良いのだ。もちろん演技の話で、この小娘がとんだ食わせ者だったのである。ちなみにダニエル・ドロルムは戦後期待の演技派女優だったが、出演した映画は数本に過ぎず、二度の結婚の末、映画のプロデューサーになってしまった。(一度目の結婚は男優のダニエル・ジュランで、二度目が映画監督のイヴ・ロベールだった。)
ドラマはこの女の身の上話から始まる。
「私はあなたが昔に別れた妻の一人娘で、あなたの実子ではないかもしれません。実は先だって母が死んで、身寄りがなくなってしまいました。あなたのことは母から聞いていたので、死んだことを知らせにパリまでやって来ました。」
若くて可愛い女がそんな告白をするのだから、中年男はたまらない。年齢から考えてわが子ではないことは解ったものの、自分を頼って訪ね来た娘を追い返すことなど出来るはずがない。ギャバンはこの女に店の料理を食べさせ、自分の家に住まわせてやる。そして、あろうことか三十も年齢の離れたこの若い女に魅せられ、溺れていく……。
しかし、この女の言ったことはみんなウソだった。玉の輿に乗って、ギャバンの財産を乗っ取ろうという魂胆だったのだ。まあ、映画の内容を紹介するのはこのくらいにしておこう。見ていない人の興味を奪ってしまうと思うからだ。ただ、この映画は、デュヴィヴィエ監督特有のペシミズムに貫かれ、人生の醜悪さを露骨に描き出していて、特に後半は目を覆いたくなる凄惨な場面が多いことだけは付け加えておきたい。
パリの中央市場の近くにある高級レストランのオーナー兼シェフがこの映画の主人公である。この役を演じるのは私の大好きなジャン・ギャバン。初老にさしかかった五十男で、料理の腕は一流、客の接待もソツがなく、レストランは大いに流行っている。しかし、寂しいかな今は独り者なのだ。
ある日、このレストランに二十歳そこそこの若い女の子が訪ねて来る。貧しい身なりで化粧もしていないが、素顔が可愛らしく不思議な魅力を持っている。気立ても良さそうで、清純な子に見える。ダニエル・ドロルムという女優がこの役を演じているのだが、これが素晴らしく良いのだ。もちろん演技の話で、この小娘がとんだ食わせ者だったのである。ちなみにダニエル・ドロルムは戦後期待の演技派女優だったが、出演した映画は数本に過ぎず、二度の結婚の末、映画のプロデューサーになってしまった。(一度目の結婚は男優のダニエル・ジュランで、二度目が映画監督のイヴ・ロベールだった。)
ドラマはこの女の身の上話から始まる。
「私はあなたが昔に別れた妻の一人娘で、あなたの実子ではないかもしれません。実は先だって母が死んで、身寄りがなくなってしまいました。あなたのことは母から聞いていたので、死んだことを知らせにパリまでやって来ました。」
若くて可愛い女がそんな告白をするのだから、中年男はたまらない。年齢から考えてわが子ではないことは解ったものの、自分を頼って訪ね来た娘を追い返すことなど出来るはずがない。ギャバンはこの女に店の料理を食べさせ、自分の家に住まわせてやる。そして、あろうことか三十も年齢の離れたこの若い女に魅せられ、溺れていく……。
しかし、この女の言ったことはみんなウソだった。玉の輿に乗って、ギャバンの財産を乗っ取ろうという魂胆だったのだ。まあ、映画の内容を紹介するのはこのくらいにしておこう。見ていない人の興味を奪ってしまうと思うからだ。ただ、この映画は、デュヴィヴィエ監督特有のペシミズムに貫かれ、人生の醜悪さを露骨に描き出していて、特に後半は目を覆いたくなる凄惨な場面が多いことだけは付け加えておきたい。
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