背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

映画『椿姫』~岡田嘉子と竹内良一の失踪事件の前後

2012年07月17日 16時42分36秒 | 映画女優入江たか子
 1927年(昭和2年)3月27日、『椿姫』(村田実監督)の主役と相手役であった岡田嘉子と竹内良一の失踪事件が起る。この事件の経緯と真相についてはいろいろな本に書かれているが、ここでやや詳しく触れておこう。日活および映画界だけでなく日本中を騒がせた大事件でもあり、東坊城恭長と入江たか子を語る上でも、欠かせない関連事件だからである。
 当時、岡田嘉子は映画女優の人気ナーバーワンだった。1925年(大正14年)の「キネマ旬報」による東西スター人気投票は以下のようになっている。
日本女優 一、岡田嘉子  781(票数)
       二、英百合子  518
       三、砂田駒子  366
       四、マキノ智子 198
       五、栗島すみ子 105
(ちなみに日本男優は、一、阪東妻三郎 二、中野英治 三、鈴木伝明。日本女優にまだ田中絹代も入江たか子もなく、男優に岡田時彦もない頃である)

 
 岡田嘉子(1902~1992)       竹内良一(1903~1959)
 
 岡田嘉子は1902年(明治35年)広島に生まれ、子供の頃から日本各地を転々とし、16歳で舞台女優を志願、新芸術座を振り出しに、山田隆弥主宰の舞台協会に入り看板女優として公演活動を続ける。一時期日活向島と出演契約を結び劇団の資金繰りのため座員ともども映画出演を続けたが、震災で関東一円の劇場も日活向島も潰れ、活動の場を失う。劇団も借金が嵩み、日活の幹部根岸耕一のコネもあり、ついに嘉子は日活京都に入社、映画女優として再スタートを切る。これが1925年(大正14年)初春で、嘉子22歳の時だった。入社第一回作品が『街の手品師』(村田実監督)、続いて『大地は微笑む 後篇』によって、今の言葉でいう大ブレーク。一躍、日活の、いや日本のナンバーワン女優にのし上がった。翌27年も『京子と倭文子』(阿部豊監督)、『日輪』(村田実監督)、『狂恋の女師匠』(溝口健二監督)と順調にヒット作に出演し、28年、『彼をめぐる五人の女』(阿部豊監督、岡田時彦主演)の大ヒットの後、満を持して臨んだのが大作『椿姫』だったのである。


『街の手品師』のポスター

 以下、「日本映画俳優全集 女優編」(キネマ旬報増刊1980年12月31日号)の「岡田嘉子」の項から少し長いが引用する。(佐藤忠男と司馬叡三による記述。改行は筆者)

 相手役には竹内良一が起用された。竹内は陸軍大尉で男爵の外松亀太郎と声楽家の玉子の長男で築地小劇場の研究生となるが、同僚の女優・若宮美子との恋愛事件から退団をよぎなくされた、母のはからいで村田実の渡欧に同行、帰国して日活へ入社、『彼をめぐる五人の女』でデビューした新人である。
 嘉子は山田隆弥との仲が、いぜんとして従来の中途半端な関係のままで、私生活のうえで行きづまりを感じていただけに、森岩雄がデュマ・フィスの原作をもとに彼女のイメージを生かして翻案脚色したというこの『椿姫』に、日活入社いらいはじめてといっていいほどの意欲をおぼえ、ことに「新しくは装えども古き心をもてる女の悲劇」という副題に共感し、女優生命を賭けてみようとまで思い込む。
 3月14日、銚子ロケから撮影開始。江ノ島、浜名湖とロケ地を変え、24日は日蓄で宣伝用のレコード吹き込み、26日に京都へ帰る。翌27日は夕方から仮装舞踏会のシーンのセット撮影。しかし主役の山路マリ子(マルグリット)と水沢春雄(アルマン)をやる嘉子と竹内良一は定刻になっても現れない。
 翌27日(?28日)、日活は二人が失跡したと判断、捜索にかかる。
 30日の東京朝日新聞は「遂に駆落と判った 大津方面へ捜索隊を出す」の見出しで「情死をなす恐れもある」と報じた。
 二人は福岡県飯塚の伯母(母の姉)のもとに身を寄せ、嘉子は両親に連絡。4月6日、神戸港まで来た父に迎えられる。
 失跡の原因は、村田実監督の演技指導に対する根強い反発で、撮影開始前、すでに役づくりのうえで村田の指示と彼女の考えは大きく食い違い、嘉子は迷いながら撮影に入り、ロケで群集を前に罵倒に近い叱声をあびせられるにおよんで撮影を続ける気がなくなり、そうした気持ちと、彼女の山田隆弥との曖昧な内縁関係や日活からの借金といった私生活上の悩みを、京都へ帰った翌日、彼女に惚れていた竹内に打ちあけたところ、竹内に同情が加わって衝動的に逃避行になったといわれる。
 日活は二人を解約。『椿姫』は夏川静江と東坊城恭長を代役として完成、5月に封切られたが、不評だった。が、夏川静江は、岡田嘉子が去った後、日活の看板女優としてスターダムに昇っていく。


『椿姫』夏川静江と東坊城恭長

『椿姫』1927年(昭和2年)5月公開 12巻 日活京都
 監督:村田実 脚本:森岩雄 撮影:青島順一郎 出演:夏川静江(椿姫と呼ばれる女、山路マリ子)、東坊城恭長(水沢春男)、高木永二(春男の父)、滝花久子(召使君江)、南部章三(金持川島)、三桝豊(老子爵大脇)、島耕二(友人小野)、渡辺邦男(アパートメントの下男)

 さて、話題は東坊城恭長に戻る。結局、恭長は『椿姫』の出演を最後に俳優を辞め、二度と映画に出ることはなかった。もともと俳優より脚本家か監督を志望していたこともあり、前年の1926年秋に『都の西北』を撮り終えた後、恭長は俳優部から脚本部に転じていた。
 1927年春には映画『靴』のオリジナル脚本を書き始めている。『靴』は、日活で彼の名が初めて原作・脚本にクレジットされた作品で、内田吐夢監督、島耕二主演で製作され、3月半ばに完成し、3月26日に公開された翌日に、岡田嘉子と竹内良一の失踪事件が起ったのだった。会社から、そしておそらく村田実監督自身から『椿姫』の代役を懇願され、恭長は仕方なく引き受けたのだろう。
 その後、恭長は、27年(昭和2年)6月、監督に転じ、阿部豊と共同監督で『旅藝人』という作品を撮っている。22歳という若さでの異例の監督昇進である。同年『鉄路の狼』『喧嘩』の2本の作品でメガフォンを取る。
 妹の入江たか子が内田吐夢監督作品『けちんぼ長者』に出演するため日活京都撮影所にやって来たのは、ちょうどそんな頃だった。



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