現代の日本では珍しいケースだろうが、このところ、そういう出産を選ぶ人も増える傾向にあるという。
私は、自宅で生まれた。
私は、昭和38年生まれだが、自宅で生まれた同級生はほとんどいなかった。
五島の福江市(現・五島市)という、離島ながら市部であったためか、産科のある病院もいくつかあったのだろう。
自宅での出産で、重要な役割を果たすのが助産師さんだ。
国家資格である助産師さんは、ちょっと前までは助産婦と呼ばれており、私の子供のころは、もっぱら「産婆さん」というのが愛称でもあり、その、誰にでもできることではない職業人にたいする尊称でもあった。
今週、私は45回目の誕生日を迎えた。
いま、生きるといういうことの素晴らしさを強く感じ、この世に生を受けたことをとても感謝している。
ともさかさんの話を聞いて、自分が生まれた時のことを思い浮かべてみた。
(私本人には、その時の何らの記憶がないのはもちろんのことである。)
私を、産み、育ててくれた母と、広くて大きな、そして味わい深い世界との橋渡しをしてくださった「産婆さん」に感謝の気持ちを伝えるため、この一文を書き留めます。
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