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夜、母の入院先より危篤との連絡あり。
陸路で行くことのできる場所ではないので、夜の間はどうすることもできない。
いよいよ覚悟の時と、旅自宅とインターネットでエアチケットの手配をして、まずは寝た。
■2月1日
朝。いったん出社。
報告と引継をし、フライトに間に合う時間まで仕事をする。
大村空港から福江に向かう。
大村空港の手荷物検査場を通って出発ロビーに入ると、小国雅香さんの
「春節祭」
がフロアにBGMで流れている。
長崎のランタンフェスティバル期間にふさわしい選曲である。
小国さんとは、お互いの母のことを話したことがあるので、いよいよだね、行ってらっしゃい、と小国さんにメッセージをもらったようで心が落ち着く。
春宵一刻値千金
すべての人生の時が千金萬金にも変えられぬほどに、得がたい命をくださった母に感謝しつつ機内に向かい、昼過ぎに福江着。
病院に着くと、先月見舞った時よりもさらに痩せた母がいた。
酸素マスクをつけ、痛々しい。
すでに一年以上口から食事をしておらず、経管栄養注入と点滴を繰り返して生きてきた。
医療の発達は頼もしいが、本人のためによいことなのかどうか、日常の疑問が私自身への解決を迫る感を強くする。
連絡をした母の妹たちや、私のいとこたちが見守りに来る。
鎌倉に住む友人が、大船観音の写真を写メールで送ってくれて励ましてくれる。
一首詠んで、祈る。
生き生きて命尽きんとする母を見守られたし南無観世音
東京から、私の姉の一人が到着。
夜、病院の好意で蒲団と枕を貸してくださり、畳敷きのスペースで仮眠を許可してくださり、姉と交代で付き添う。
深夜も、当直の看護師さんや介護福祉士さんたちは、めまぐるしく病室を回って働く。
私も入院歴があるので知ってはいるものの、あらためてその激務に敬服する。
事あるたびに出会う医療関係者のそれぞれが、このデジタル万能のような世の中でも、血圧計は水銀柱のものがよいと言う。
母のベッドサイドにも、昔の映画に出てくるような大きめの血圧計が五本足のスタンドにしっかりとキープされながら立っている。
エリントン楽団が奏でる
「ブラッド・カウント」
の重厚で哀愁に満ちた曲が脳裏をめぐる。
この曲は、ヂューク・エリントンの盟友ビリー・ストレイホーンの死に至る闘病と縁のある曲という。
この曲の存在を教えてくれた「デューク・エリントン(愛育社)」の著者の柴田浩一さんに出会えたのも、この世に生を受けたればこそだ。
今度柴田さんに会ったら、この時のことを話そう。
私は演奏はしないが、私の人生はジャズと共にある。
静かな病室に響いてくる心電をモニターする音を背景に、スポットライトに照らされたかのように光に浮かび上がる血圧計を眺めつつ、眠気も吹き払われて朝を迎える。
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