その人の思い出、募集します。
25期 中川 越
人はその人のことを懐かしむとき、どんな顔を思い出すのだろうか。
私の追憶の中でその人はいつだって、おおらかで優しく微笑んでいる。そしてその微笑みは、誰でも受け入れてくれそうな、上質な品格あるホスピタリティに満ちている。
お会いすると、いつもほめてくださった。
「エツは、兄さんより優れたバスケットプレーヤーだった」
「いいシューターだった」
五歳上の兄は大泉高校卒業後に、東京教育大学の籠球部の主将を務めた。兄はその人と同世代で、兄とその人はバスケットボール界において、多少なりと親交があった。自分が尊敬していた兄を超えたとひと様に言われるのは、とても嬉しかった。しかも、その後多くのチームを立派に育てた名伯楽であるその人に評されるのは、これほど名誉で愉快なことはなかった。
私が現役のときも、その人はよく私たち25期の練習を見てくださった。日頃の微笑みを消して、かなり厳しく指導することもあった。しかし反発を覚えたことはない。裏にある愛情が心地よかったのだろう。
その人のシュートは、私の見本にはならなかった。ボールを頭の後ろまで引く独特のスタイルで、誰にもマネすることはできなかった。その形がユニークなだけでなく、全体の雰囲気も独自なもので、とてもしなやかで大らかでやわらかな印象があった。文は人なりという言葉があるが、シュートもまた人なり、といえるかもしれない。
その人のシュートは、その人の人柄そのものだった。
過去は終わったことで変えられない。というのは、一つの迷信のような気がする。年をとって、よくそんなふうに思う。
貧しいながらもたくさんの経験を重ねたあとに、50年前のことを思い出すと、あのときのあの人の表情や態度や言葉には、こんな意味があったんだと、再発見をしたり、新たな意味合いを想像したり、創造したりすることができるからだ。
思い出が生まれ変わり、新しい体験として、新鮮に喜びを与えてくれることがある。
その人のことを、もっと思い出したい。思い出を新鮮に蘇らせ、今の自分とともに過ごして、今だから話せること、分かり合えることを話してみたい。その人とまた一緒に生きてみたい。
その人の思い出、その人と今話してみたいこと、募集します。
みなさんとともに、その人との時間を、永遠のものにしたいと思います。