25期石神井バスケの広場

都立石神井高校バスケットボール部25期OBが開設したブログです。近況、思い出などを、お気軽にご投稿ください。

キャプテンナンバー4番 25期 細田 浩

2022-11-27 15:12:28 | 日記
練習がユル過ぎます‼️
と確かに聞いたのは新入部員が初めて顔合わせをした体育館練習後の円陣の中であった。
練習後には必ず円陣を組んでその日の練習の反省を短くする事がバスケ部の決まりであった。
3年生が中心であったが石神井の美風で2年生1年生も自由に発言することは許されていた。当時の石神井のバスケの練習には現役生はもとより多数の大学生OBも参加していた。
新人参加の初練習ということでOBも何人かその輪に入っていた。ひと通り発言が終わりキャプテンの飯田氏が初めての高校の練習はどうだったか?と優しい微笑みと共に輪の隅でひと塊になっていた新入部員に問いかけた。

その時ハイッと手を挙げたのが佐々木氏であった。「練習がユル過ぎます」「もっと厳しくして下さい」と言い放ったのであった。緊張と圧倒的フィジカルの差を感じ疲労困憊の我々1年生は一瞬で体は固まり思考は止まった。その後のキャプテンの返答も、その場がどの様に収まったか全く覚えていない。

我らの代は2年生の4月から1年余り体育館の新築工事に伴い自体育館での練習ができなくなってしまった。顧問の川島先生と故元顧問の清水先生配慮で清水先生の新赴任校である東大和高校での合同練習、OB会で借りて頂いた練馬区春日町の体育館でのスポット的な体育館練習以外は武蔵関公園でのフィジカルトレーニングと石神井高校の正門付近のスペースで存在しないリングに向かいひたすらツーメン、スリーメン、フオーメーション練習を繰り返す日々。正にエアーバスケット練習が日常であった。日を追って練習参加者は減り部員の退部が続いた。夏合宿の頃には同期は5名になっていた。

そのような活動の日常のなか3年生が引退した後のユニホームの番号を決めるミーティングがあった。
それぞれ希望を募りこだわりのある者、全く無い者それぞれでスムースに決まりかけ最後に当時キャプテンが付けるのが通例であった4番はとなった時、手を挙げたのが佐々木氏であった。「4番は俺につけさせてくれ」
キャプテンと背番号4は、厳しい状況下の練習の牽引者でエースの中川氏のものと全部員が一致した意思と思っていた。我々は佐々木氏を説得したが2人の話し合いでということになったと思う。
その後どのような経過が2人にあったか定かでないし2人も語らないが、新人戦での4番は佐々木氏の背に付いていた。
11月の新人戦でBEST16入りができて希望が持てた時、佐々木氏が退部するという衝撃が走った。学業に専念したいという理由であった。

しかし彼は戻ってきた。3年生になり関東大会前。復帰初日の練習の動きには目を見張った。新人の時言い放った言葉を体現するようなブランクを感じさせない猛烈な動きで練習をひっぱった。
すごい頑張りであった。皆、再入部の覚悟を彼にみた。ところが、その日の帰宅時同期の吉岡氏は彼を武蔵関駅前喫茶店「白鳥」へ緊急避難させた。急激な過度の運動が歩行も困難な状態にしてしまった。

3年時の我らのチームの成績はせいぜいBEST32止まり、頑張りは実らなかった。

25期バスケ部の卒業写真を眺めいると佐々木氏のユニホームには番号が付いていない。番号が付いていないユニホームを着用している。
都大会中学校上位チームのポイントガード
短髪の角刈り、新入生時年長のOBから挨拶されたという伝説を残す鋭い目つき、低い声、老成感のある風貌。一方、人懐っこく、思ったことは直ぐ口にする、一生懸命で真っ直ぐ、熱しやすく冷めやすい、大胆で繊細。
愛すべき憎めないキャラ。

リタイヤして老年期の真っ只中の今、高校時代のクラブ活動とは何だったろうと思う。そしてOB会とは?
学生、社会人の初期の頃はOB会を通して現役の練習や合宿で石神井バスケット部と関わりがあったが歳を重ねるつれ生活環境の変化で関係性が薄くなり世代の変化と共に断絶状態になる。特にバスケ競技に興味を持つもの以外は新しい人生の意義を他に見出だし高校生活、部活動の日々はほろ苦くあったとしても次第に良い思い出として忘却の彼方ヘ押しやられるのがほとんどではないかと思う。
しかし、幾つのもの山坂を過ごした後、定年、親との別れ、私的事情による分岐点や、転機を迎えた時、ふと若かった一時期日常を共にした人々と共に、語りあいたい時期が来ることがあるのではと思う。
その時、部活動の顧問の先生、大先輩、同期、後輩が常に活動しているOB会という存在が大切に思えるようになる。

何年も経ってからの再会でも昨日の事のように話が始まる。現在のそれぞれの状況、環境は二の次である。話したくなければ語らないし聞かない。グチりたければ愚痴るでもテキトーに流される。しかし高校生活に関しては辛辣に突っ込んで話す、大笑いの輪がひろがる。だいたい老年になると遠慮が無くなる。

我々の還暦の頃の7年前の写真を発見した。前回の同期男女合同会食から7年振りに男子全メンバーが顔を合わせた飲み会。中川氏の仕事場で痛飲した帰途。駅までの送りがてらの道中の両氏。

2人の背中には背番号4も5も見えない。