明日がとりあえずアピアのあたふたの原稿の締め切りであるが、書いたはいいが、4000文字ぐらいになってしまった。さて、どうしたものか。まだ書き直したいと思っているし、言葉が足らない、言葉が出てこないと奥歯に力をいれてしまうところである。しかし、とりあえず、書き終えた。
また明日ゆっくりと修正しよう。
月曜日の朝、私はプレムダンに行くジョアンに、もしサドゥーに何かあった場合には携帯に連絡して欲しいと伝えた。
毎朝の駅の仕事に向かう前に行く病院の訪問を終えて、マナーモードにしていた携帯を見るとジョアンからの着信が二度あった。
まさか、サドゥーに・・・、と思いながらも、すでに心のうちでは覚悟を決めて、ジョアンに電話した。
サドゥーは昨夜亡くなったと言うことだった。サドゥーはホーリーの夜に亡くなったのだ。サドゥーはヒンドゥー教のサドゥーとして生き、結婚もせず、親兄弟などとは一切会わずに、私利私欲なく、その生涯の長い間を病人のケアのために使い、最後にカトリックになり、言葉を話し始めた。そして、選んだ最後の日がホーリーの夜とは、私にはあまりに完璧に思えてしょうがなかった。あまりに美しく思えてしょうがなかった。彼の生涯、そのすべては神さまのために美しいことをしたことに終わった。
人間にはサドゥーのような生き方が可能なのか、私は彼を聖人だと思わずにはいられなかった。駅の仕事を終え、花輪を買ってプレムダンに行った。多くの患者が私を見るとサドゥーが亡くなったことを知らせてくれた。一人の小さな知的障害の男の子はサドゥーの死を惜しんで泣きじゃくっていた。サドゥーは誰にでもほんとうに優しくあり、愛された男だった。
一人の患者が私のところに駆け寄って来て、サドゥーが亡くなったことを言うと、彼は亡くなる前にサドゥーが話したことを教えてくれた。
「私はもう先に行くから、あなたたちは後からゆっくりと来なさい」と。
彼はそれをとても嬉しそうに教えてくれた。私ははっとした。死は決して哀しむべきものだけではない、十二分に生命を生き抜いた死は祝福されるものであることを肌身で知ったのだった。私は微笑んだ。サドゥーを思い、感謝の思いに包まれ、比類ない喜びに包まれた。それはサドゥーが周りの者たちに祝福を与え続け、天国に旅立ったと言うことの証しが私のうちに芽生えたのであった。
近くにいたジョアンに私は「今日はサドゥーのために祈ろう」と言うと、ジョアンは微笑んで言った「いいえ、サドゥーが私たちのために祈ってくれている」と。