この本は私がカルカッタ{現コルカタ}にいた2011年震災の前であったと思う、マザーハウスから歩いて10分ぐらいのところにあるパウロ会の本屋で買った。
ちょうどその時、学生時代からの知人である片柳神父もボランティアをしに来ていた。
彼に「Come be my Light 来て、私の光になりなさい」の次にMC{マザーテレサの修道会の略}から出た本があるのは知っていると聞いて見ると、いや、知らなかった、と驚き、慌てるようにして、すぐに買いに行っていた。
マザーの死後、MCから出された本は「マザーテレサの秘められた炎」そして「マザーテレサ 来て、私の光になりなさい」であり、未だ翻訳されていないのは「Where There Is Love,There Is God. Mother Teresa」である。
英語力の貧しい私は未だこの本を読み切れていない、いや、読もうと腰を据えるどころか、誰かが翻訳してくれないかと棚から牡丹餅が落ちてくるのをずっと待っていたが、いっこうに牡丹餅は落ち来なかった、そこに牡丹餅を持って来てくれたのがいなますさんかも知れない。
すでにマザーの本を翻訳しているいなますさんであれば、どうにかなると、その時、瞬時に私の脳裏で私の想像以上の良い風が私に吹き込んだであった。
いなますさんは「マザーテレサの秘められた炎」と「マザーテレサ 来て、私の光になりなさい」の翻訳に至った過程を知っていた。
そして「マザーテレサの秘められた炎」の方は最初翻訳が良くなかったので上智で引き取り、三人に寄って翻訳され直したと言っていた。
私はやはりと思った、だから、最初と最後の方では同じシスターの名前も違って明記されていたことがわだかまりを残しながらも了解された。
しかし翻訳の間違えはこれだけではなかった、カルカッタのマザーハウスで日本人のシスタークリスティーに私が問題と思うところを聞いてみると、やはりまったく違った翻訳であることを教えてくれた。
とても残念に思わずには居られなかった、なぜなら、この本はとても素晴らしい本であるからである。
私は実はこの本により、洗礼を受けることを考えた一つの大切な要因なのであった、もちろん、この本だけではない、いろいろとものが絡み合い、泣き笑い、熟し、発酵し、私は洗礼を受けることになったのである。
その洗礼をマザーハウスで受けた2014年に私はこの「マザーテレサの秘められた炎」をカルカッタに持って行ったのであった。
いなますさんに誰か良く翻訳してくれる人はいないかと聞くと、しばらく考えてから彼女だったらと目星が付いたらしい人がすぐに浮かび上がったようだ。
私はもし翻訳が進んでいくのであれば、是非翻訳の過程でそれを読ませてほしいと願い出た。
なぜなら、今まで訳の間違えが多かったシスターやブラザーの名前、カルカッタの地名、物の名前などが私には分かるからである。
それをいなますさんは喜んで承諾してくれた。
後日、良い翻訳家が見つかったと言う知らせを受けた、その人は私のことも知っているとのことであった。
神さまは素晴らしい計らいをしてくれるのであった。
さて、翻訳がいつ始まるかなどはまだまだ到底分からないが、私にはPrem Danが与えれた、愛の贈り物が与えられた。
1月5日の出来事である、神さまからの、マザーからのお年玉と言って良いかも知れなかった。