南千住の駅を降りるとあちらこちらに白いものが宙を舞っていた、初雪であった。
私は両肩で身震いし、寒さから逃げようと試みたが無駄な抵抗であった。
この寒さのなか、変わらずおじさんたちはカレーを食べに来るのだろうと思うと、雪を見るのは好きであるが、あまり降らないでほしいと祈らずにはいられなかった。
白髭橋のカレーを配るところではその雪も私の祈りが天に通じたのかどうかは分からないが止んでいた。
この日は私はカレーの列に並ぶおじさんたちに「おはよう」と言った次に口を開けば、「今日は寒いね、寒いね」と、真夏の「暑いね、暑いね」の正反対の言葉が挨拶のようになっていた。
私はなるべくいつも彼らに触れるようにしている、マザーテレサが言うように、彼らが神さまであるからである、貧しい人に姿を変えたイエスであるからである。
おじさんが下を向きながら寡黙に空腹を満たそうとカレーを口に忙しく運んでいるところに私は彼らの肩に触れ、「美味しいかな」と聞くと、寡黙の穴からひょっこり顔を出すようにし、私と目を合わせ笑みを見せ「美味しいよ」と答えてくれた。
そうしたおじさんの一人が炊き出しも終わり、おじさんたちの人影もまばらになってきた時に私に声を掛けてきた。
「先生{おじさんたちから良くそう呼ばれることがある}、ちょっと相談があるんだけど」
何かと思い、私は心の腰を据えたようにして彼と向き合った。
もう頭も口まで覆うように伸びっぱなしの無精髭も真っ白な彼であった、使い古したマスクは話している間に下がり、歯が数本しか残っていない口が見えた。
「今度、仕事に行くんだけど、朝6時に行かなくてはならないくて。バスでは行けないから電車で行きたいんだけど、お金が無くて、どこかで貸してくれるところはないかな?」
そうか、と言い、私は最初そうしたところはない、と告げたが、やはり困りきっている彼を見捨てることは出来なかった。
辺りに他のおじさんたちがいないのを確認し、それじゃ、自分が貸してあげると、「400円で良いんだ。それで電車に乗れるから」と言った彼の言葉から、私は右手をジーンズのポケットに入れてみたが400円が無かったのでお尻のポケットに入れていた財布を取り出し、じゃ、1000円貸してあげるねと、1000円札を私の右手のなかに丸め納め、握手をするようにして彼の右手に渡した。
誰もがお金を必要するので、滅多にお金をおじさんに渡すことなどないが、その時、私はそうせざるを得なかった。
「先生、必ず返すからね。先生、いつもここにいるからね。ありがとう。仕事を行ったら返すからね」と安堵の笑みを浮かべながら何度も彼は頭を下げた。
私の脳裏はこれで良かったのかどうかやいろいろな思いが錯綜した。
1000円は帰ってこなくても良い、お年玉をあげたと思えば良い、でも、帰って着たら、それはそれで嬉しい、お金が帰って着たことが嬉しいよりは約束を守ってくれたことが嬉しくなるだろう、その喜びが昔話の六地蔵の話しのようなことが起こるのではないかと初雪を見たから思ったのか、そんな他愛もないありもしない利己的な想像している自分にクスッとしたり、それ以上何も考えないようにしむこうとする自分がいたり、そしてやはり信じたいと思う自分がいたり、そう考えているうちに私は一人なぜか喜んでいた。
有り難い、私は与えられている、と不思議とそう思えたのであった。