最近、友人に勧められ、三浦綾子氏の「氷点」を読んでいる。
もう下巻の半分ほどのところまで読み終えたが、気になる一文があったので、そのことを少し書き出してみる。
「人間と言うものは案外、同じ屋根の下に住む者の影響を、このように強く受けているのかも知れないと啓造は思った。ゲーテか誰かの、「不機嫌は、最大の悪だ」といった言葉が思い出された。」
この「不機嫌は最大の悪」と言うことは正しく本当である。
何も新聞の三面記事に載る犯罪だけが罪ではない、不機嫌でいることは正しく罪である。
不機嫌故に本人はいっこうに気付かない。
前科者にはならないが、周りにいるものを破壊し、時に恐怖を与え、自分の思い通りにならないことへの怒りを分からそうとする幼稚さがある。
自分が周りにいるものを傷付けていることなどいっこうに気付かない。
このコロナ禍、不機嫌な親のために孤独な思いをしている子供が多くいるのだろう。
児童相談所はコロナ禍のいま相談件数は激しく増加している。
愚痴を言える私たちは良い、逃げようと思えば逃げれる大人の私たちはまだ良い。
帰りたくもない場所に帰らざるを得ない子供、我慢に我慢を重ねなくてはならない子供、そうしないと生けれない子供がいることを私たちは知らなくてはならない。
不機嫌な親の親も不機嫌だったのかも知れない。
自らも知らないところで親に復讐出来なかったことを子供に復讐してしまっているかも知れない。
だが、負の連鎖は断ち切った方が良い。
「不機嫌は最大の悪」と気付いた方が良い。
しかし、間違ってはならない、不機嫌な人に「不機嫌は最大の悪」と言っても、たぶん、あまり変わらないか、もっと不機嫌になるだろう。
だから、そうした人がいても、微笑んでいなくてはならない。
その人がそうせざるを得ない思いを受け容れ、その人のために静かに祈ることをした方が良い。
そして、自分の不機嫌があれば、それを認め、手放すトレーニングをした方が良い。
ごはんが美味しくなる。
お酒が美味しくなる。
微笑みにはそうした力がある。
マザーテレサは良く言っていた「あなたたちは微笑みの力を知らない」と。
私たちはきっともっと微笑みの力を知れるのである。
もう下巻の半分ほどのところまで読み終えたが、気になる一文があったので、そのことを少し書き出してみる。
「人間と言うものは案外、同じ屋根の下に住む者の影響を、このように強く受けているのかも知れないと啓造は思った。ゲーテか誰かの、「不機嫌は、最大の悪だ」といった言葉が思い出された。」
この「不機嫌は最大の悪」と言うことは正しく本当である。
何も新聞の三面記事に載る犯罪だけが罪ではない、不機嫌でいることは正しく罪である。
不機嫌故に本人はいっこうに気付かない。
前科者にはならないが、周りにいるものを破壊し、時に恐怖を与え、自分の思い通りにならないことへの怒りを分からそうとする幼稚さがある。
自分が周りにいるものを傷付けていることなどいっこうに気付かない。
このコロナ禍、不機嫌な親のために孤独な思いをしている子供が多くいるのだろう。
児童相談所はコロナ禍のいま相談件数は激しく増加している。
愚痴を言える私たちは良い、逃げようと思えば逃げれる大人の私たちはまだ良い。
帰りたくもない場所に帰らざるを得ない子供、我慢に我慢を重ねなくてはならない子供、そうしないと生けれない子供がいることを私たちは知らなくてはならない。
不機嫌な親の親も不機嫌だったのかも知れない。
自らも知らないところで親に復讐出来なかったことを子供に復讐してしまっているかも知れない。
だが、負の連鎖は断ち切った方が良い。
「不機嫌は最大の悪」と気付いた方が良い。
しかし、間違ってはならない、不機嫌な人に「不機嫌は最大の悪」と言っても、たぶん、あまり変わらないか、もっと不機嫌になるだろう。
だから、そうした人がいても、微笑んでいなくてはならない。
その人がそうせざるを得ない思いを受け容れ、その人のために静かに祈ることをした方が良い。
そして、自分の不機嫌があれば、それを認め、手放すトレーニングをした方が良い。
ごはんが美味しくなる。
お酒が美味しくなる。
微笑みにはそうした力がある。
マザーテレサは良く言っていた「あなたたちは微笑みの力を知らない」と。
私たちはきっともっと微笑みの力を知れるのである。