「なぜめぐり逢うのかを私たちは何も知らない。いつめぐり逢うのかを私たちはいつも知らない」
と言うのは有名な中島みゆきさんの「糸」の歌詞であるが、これには文句の付けようがない。
しかし、きっと私たちはなぜかは分からないが引き合い、出会う。
きっと私たちはそこに意味を感じる。
その過程では解釈と理解を繰り返し、物語り、いつしか受肉し、必要性を感じるのではないだろうか。
私はあのサビキに出会い、やっとアジに出会った。
それは十日前のことである。
いつもの場所、海釣りしていた。
アタリもなく、もしかして坊主なのかと嫌な予感が頭をよぎり始めていた。
釣り竿を出して、四時間、すでにアタリもなく、周りの釣り人も釣れていなかった。
私の左隣に「ここ、良いですか?」と新しい釣り人が来た。
「どうぞ」と私は挨拶代わりの返事をした。
しばらくすると、その彼がサバを釣り上げた。
私は近くに駆け寄り、「おお、良いですね。サバが釣れましたね」と話し掛けた。
彼は軽く頭を下げ返事をした。
私は右隣に一人で釣りに来ていた女性に「向こうでサバが釣れましたよ。これからこっちにも回って来ますね。頑張りましょう」と伝えた。
彼女は諦めモードから、少し元気取り戻し、微笑んだ。
それから、彼はサバを何匹も釣っていた。
その度、「凄いな」と私は彼に伝えた。
そして、彼はアジを釣り上げた。
海釣り初心者の私は釣り上げられたアジを生れて初めて見た。
「ここでもアジは釣れるんだ」と心のなかで大喜びした。
そして、隣の女性にも「アジが釣れましたよ。向こうの人が」と伝えた。
この時期、まだこの場所ではYouTubeを見ても、アジの釣果報告は一切なかったので、彼女も少し驚いていた。
隣の彼にどんな仕掛けを使っているのか、聞いて見ると、いろいろと教えてくれた。
彼はぶっこみサビキで釣っていた。
使っているサビキも見せてくれた。
私はトリックサビキをしていたが、すぐにぶっこみサビキに変えた。
隣の女性にも彼はぶっこみサビキで釣りしていることを教えると、彼女は浮き釣りをしていたが、彼女もぶっこみに変えた。
すると、彼女はすぐにサバを釣った。
「良かったですね」と声を掛けると、彼女は微笑んだ。
「自分だけ釣れていないから、さぁ、頑張ります」と伝え、守備位置に戻った。
隣の彼が立派なコノシロを釣り上げた。
「要りますか?」と言われ、「ありがとうございます。食べます」と言って一匹いただき、続いて二匹のコノシロをもらった。
隣の彼に「何が悪いのかな?ぜんぜん来ないな・・・」と言うと、「私のサビキを一つあげますよ」と言ってきた。
「いやいや、滅相もない。良いですよ」
「どうぞ使ってみてください」
「買いますよ」と言ったけど、小銭がなく、私は結局、彼のお言葉に甘えた。
彼の使っているサビキに換えると、すぐに三十センチはあるコノシロが釣れた。
そして、すぐに次のアタリも来た。
私に春が来た。
{つづく}