新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。そんな色々。

2024-08-02 06:35:35 | Short Short

夏の夕暮れ、近くの河原へ出かける。
日が傾いて日中の暑さも和らぎ、しゃばしゃばの蝉の声が少し落ち着くころ、空が薄紫の帯を引く。
そしたらコンビニの袋に冷えた缶ビールを2本忍ばせ、散歩に出る。
大きめのサンダルを爪先で引っかけのらり行くうち、夕風に、湿った夏草の匂いが混じる。

その河原には、朽ちかけた木のボートが半分草地に乗り上げ雑草とまみれている。
草が板の隙間に根を下ろしたボートの半身は安住の地を見つけて安堵し、一方、水辺に浮かんだ半身は、いつか旅立つことを夢見るように、浅い岸に身を預けている。

私はそのボートの、夢見る方の舳先に腰かけて、水の上に裸足の足をぶらりと投げ出す。袋から汗ばむ缶を取り出しカチッと栓を開け、まだ冷えたビールを飲む。ごくっと小さく喉が鳴る。そのまま流し込みごくごくと喉越しを味わう。
水面を舐めるように風が渡る。薄紅の雲が夕闇に退いていく。

ボートの舳先に座って眺める空は、いつも清らかに私の心をさらう。
ひとりで空を仰ぎそこに佇んでいると、自分も空の一部になったかのようだ。
その感じが好きなので、時折ここで空をつまみに晩酌する。

ひとつ目の缶を飲み干し二本目に取り掛かる。袋の中でビール缶にくっついて冷たくなったもうひとつの小さなビニール袋も取り出す。
コンビニで見つけた線香花火。案外たくさん詰まっている。

空に残照、河原は薄暮。いい頃合いだ。

ライターで火を点けるとぱちぱちと勝ち気な音を立て、細い糸火が跳ねた。芯が落ちる前のもらい火で、途切れないよう跳ねる灯を繋ぐ。繋いだ元火は燃え尽きて、ぽたりと線を光らせ種を落とす。

そんな事を繰り返しながらふと花火の先に目がいった。水面に映った跳ねる火が、なんだか彼岸花のようだなと思った。
迂闊にも、そう思ってしまった。

いつかの、どこかの、誰かのところに繋がる扉がそこにある。辺りは暮れ切り、草間の陰から蛙や虫たちが扉を開けろと鳴いている。黄泉の使いが呼んでいる。

いざなう声に向かって私は言う。
「残念だけどその扉は開けないよ。だって私には冷えたビールと線香花火があるんだもん」
蛙たちが声をひそめる。

最後の一本が燃え尽き、最後の一口を飲み干す。そしてボートに立ち上がって空を見た。
いつの間にか、夜空を丸く切り取ったようにくっきりと白い月が輝き、家路を明るく照らしている。
夏草の匂いを嗅ぎながら、私は大きく伸びをした。