新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。そんな色々。

2024-08-06 10:10:10 | Short Short

お前はこれから何者でもなく仮の存在として様々な転生を繰り返し、その所業が認められ、晴れて「仮」が解消されたならば、人間となることが叶うだろう。
だがそれも本来の、人生を謳歌する存在ではなく、「職業」としての人間から始めるのだ。

「職業が、人間? どういうことですか? 人間というのは職業ではないでしょう」

お前に選べるのは、職業「人間」と成るべく、何度も名もなき者としてこの世界に現れ去ることを繰り返すのか、それともここで消滅するのか、この二択しか与えられていない。お前の納得など必要ない。お前に求めるのはどちらを選ぶのかということだけだ。

「僕の納得が必要ない? そもそも人間とは生物でありその存在であって、職業になどできるものじゃない。知性と理性と感情と、そして創造性を併せ持った地上で唯一無二の種族と言っていいだろう。
人類の単体を人間と呼び、人間は働き日々の糧を得て生きていくものだ。働くそれが職業というものだ。人間が職業? 何を言ってるんだ」

ほう、まともなことが言えたもんだな。
知性と理性と感情、そして創造性。そうだ、それが人間であり人類に与えられたる恩恵だ。分かっているではないか。
だがお前はそれらを放棄し、人間であることを放棄した。それなのになぜまたそれを欲しがる。
私にはお前の主張の方が不可解だ。ここで消滅するのがお前の本来の願いではなかったのか。

「僕が人間を放棄した? それはいったい何のことだ」

お前が世界を終わらせたのだ。
五回目の有史の時代は終わった。もうお前がいた世界は宇宙のどこにも存在しない。

「僕が世界を終わらせた?」

選ぶのだ。お前に説明など必要ない。お前が世界を終わらせたという事実さえ、お前に告げる必要などないのだ。
さあ、選べ。名もなき転生か、消滅か。

 ⁑

南から一陣の風が吹いた。
地上には何もなく、荒れた世界の塵を巻きあげるだけだった。
木々も生物の痕跡も、建物の残骸すらない。

「ひどい世界だな」
風はそう思いながら、その世界を吹き抜けていく。
「こんなになにもない世界で、俺は何をすればいいのだろう」

そのままずっと長く永遠に風は果てた地を巡り、それでもこの星を離れることは許されない。それが風の宿命なのだ。宇宙を渡ることもできず、ただ消えていくだけだ。

風はどこにも辿り着くことのない荒れた地を、今日もただ吹き抜けていった。