まさアキの ないしょばなし

関東在住、定年過ぎ、おやじ、オリックスファンです。

マリリンとの7日間

2020年05月23日 06時08分18秒 | 日記
衛星放送で見た、映画。
番組表で引っかかって、途中から見たので、
全部を知りたかった。
こういう映画はきっと面白いに決まっていると思って。
イギリスの話を作らせたら、BBCがいちばんうまいし。

思った通りの映画だった。
マリリンモンローが、周囲に理解者がいなくて、さびしくて孤独な
撮影生活をしていた1週間、第三助監督のお兄さんと仲良くなって乗り越えてという話。
実話に基づく映画。

そうだろうなって思う。
孤独だったろうなって。

どのシーンも素晴らしいが、特に一日二人で遊ぶところがよかった。
モンローさんは屈託なく、楽しそうだった。
撮影が終わって、彼女がお別れを言いに来るところも良かった。

以前、向田邦子が書いている。
モンローがハピバスデーを歌う動画を見て、
この人は前評判と違う、クレバーな人だと見抜いていた。

ほぼ同意見だと思う。
彼女は米国で物凄く少数な血液型AB型のひとで、
他人へのサービス精神がものすごく旺盛であるが、実像は全く違う。
だから、本当の自分を理解してくれる人には、思い切り依存する人だったと思う。
最後はうっとおしがられて、結局一人になってしまうンだよねえ。
あんな亡くなりかたもしないで済んだはずなのにねえ。
西海岸に豪邸建てて。おばあさんになっても幸せでいてほしかったのに。

だから、オマージュ一杯で、良い映画だと思う。
天国のマリリンモンローさんも喜んでいたと思うよ。

ところで映画ジュデイ、いつ日本語の字幕が出るDVDを発売するのでしょうか??


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今が一番良い、その2

2020年05月23日 05時52分41秒 | 日記
寮を飛び出して、津、姫路、米子と泊まり歩いた。
さすがにこれ以上、西に行っても仕方ないので、
豊橋まで戻る。
さすがに金も無くなってきたので、各駅停車。

出雲市発14時頃の列車があった、その時の秋まであった
福知山行の普通列車に乗って。
福知山着が23時40分ごろの。

浜坂で東京行きの出雲4号という寝台特急に抜かれるんだけど、
こっちは冷房なしの窓全開鈍行
向こうは水色のブルートレイン。
乗りたかったなあ、東京帰りたかったなあ。

さまざまあって、郁子に連絡をして、横浜で会ってくれた。

郁子はいつものようにやってきた。
何も言わずに遊んでくれた。20歳の郁子。
帰り道、これからどうするの?
アキちゃんにもおうちがあるのよ、と言ってくれた。
それだけだった。

帰ろうかと思った。

結局翌年、自動車メーカーは辞めて、もっと苦労する人生を送るようになった。

あたしらの時代、仕事を辞めるなんて考えられないねと、おふくろは突き放した。


だんだんわかってきた。
郁子と人生を一緒に送る方が、自分のためになるって。

いまでも、
「意地でも変えるものか」
と思った気持ちは忘れない。

仲の悪かった両親。親として半人前だった両親。
特におふくろのおかげで、経済的には潤っている現在、感謝はしている。
しているが、両親のおかげでずいぶん精神的に迷惑は被った。

だから、もう、仏壇の中にいる両親、今が一番いいという
自分勝手な話である。

この話の3%くらいをうっすらとはなすと、郁子のははは、とてもよく分かって下さる。
だから、ははには、(親孝行??)しようと思っている。
血液型O型は苦手なのだが、ははは別である。
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今が一番いいなんて、言ってはいけないが

2020年05月23日 05時40分52秒 | 日記
実家にちょいちょい、行くようになってね。
行くのはいいんですよ、いくのは。
帰り道がねえ。

実家には結婚するまで30年近く暮らしていましたからねえ。
いまの、ま、となりまちのいえ。
昭和43年に両親が建てた家。改装2回、古家で健在です。
もう、住まなくなっている家、あたしが、税金払って維持しています。

実家から、自宅に戻るとき。
いまは、自宅に方向に向かって、時間によってはバスがあるので便利なのですが、
歩いて帰るとき、あるいは一駅電車に乗るとき、最寄り駅に向かうのです。

特に社会人になってから結婚までの5年間、いろいろありました。
独身寮から逃げちゃったりとかね。

だってねえ。ホンダの製造現場での研修、きっつかったですよう。
昭和61年7月から62年の春までねえ。そんな長期研修なんてありえないですよ普通。
製造ラインですもの。関西弁の工員さんにどつきまわされましたものねえ。

あまりにくたくたで、一週間経過して東京の実家に土日帰ってきたら
おふくろなんて言ったと思います。
お前、1週間で帰ってくるようじゃダメじゃん。
こういうこと言ったんですよ。

帰り道、あるおうちの角を曲がるとき、思い出すんですよ。ダメじゃんって言われたこと。

それから意地でも帰らなかった。一か月。
大阪の難波に泊まって、藤井寺球場の近鉄対西武戦を見に行ったこともある。
清原とデービスが本塁打を打って、初夏のいい天気の日だった。
なんばの高島屋の下で、三色弁当買って。
おふくろが作りそうな、美味しい弁当だった。

ほんとうは、東京に帰りたかったんだよあんとき。
野球の試合はよかったが、でもそんなことはどうでもよかった。

それが、やっぱり無理をして、寮、脱走したんだよね。


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