まさアキの ないしょばなし

関東在住、定年過ぎ、おやじ、オリックスファンです。

以前はねえ

2021年02月21日 06時58分12秒 | 意見
家の二重窓増設工事が終了して、それまで、薄いサッシ一枚だったリビングに
二枚目の窓、それも合わせガラスの重厚な窓が付いた。

東久留米市は東京の郊外で、八王子や熊谷ほどではないものの
夜の風は冷たく、朝は-3度くらいまで冷え込む。大手町の気象庁とはだいぶ違うのだ。
ところが、この二重窓のおかげで、室内は冷え込みが極端でなくなり、
夜の暖房効果も大きく、妻の郁子にとても感謝されている。

それまでは、函館に住んでみたいと思っていた。
でも、この二重窓を付けたら、わが東久留米市から引っ越すのは
もう嫌になって、ずっとここに住もうと思うようになった。
寒い土地はムリ。ここより暖かい土地は、夏場につらいことも知っている。
東京の外れでいいやって思うことにしている。

ごめんね、函館。でも、新型コロナウイルスが終息したら一度は行って見たいね。
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安田猛さん(元ヤクルト投手)のご冥福をお祈りします。

2021年02月21日 06時53分48秒 | 日記
プロ野球ヤクルトで活躍した安田猛さんが死去した。73歳。福岡県出身。

現役時代の安田さんは巨人戦で「王キラー」として鳴らした。技巧派のイメージが強いが、実は「高校(小倉高)のころからうまかった」と話す大胆な内角攻めが真骨頂。人気野球漫画「がんばれ!!タブチくん!!」の人気キャラクター「ヤスダ」のモデルになったとされる。

近年は病魔と闘いながら、長く甲子園から遠ざかっている母校の指導にも当たっていた。自身は1965年春の選抜大会にエースとして出場。自宅のある東京から学校のある北九州市に通って「野球人生の最後に母校を甲子園に出したい」と夢を追った。

「いつ死んでもいい」と覚悟しての指導。その一方で「僕は褒めて育てるタイプ」という方針で、孫のような選手たちにも慕われた。ソフトバンク王貞治球団会長から贈られた激励の色紙が晩年の宝物。グラウンドに全てをささげた「野球人」だった。 (相島聡司)


昭和50年代の前半、松岡弘ととともに、ヤクルトを引っ張っていた大投手です。
また最近も、小説新潮に掲載中の
いしいひさいちさんの4コマ漫画に、広岡先生(作家)の担当社員として登場しています。

ご冥福をお祈り致します。
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