まさアキの ないしょばなし

関東在住、定年過ぎ、おやじ、オリックスファンです。

昔のこと、思い出しちゃって

2020年09月27日 07時20分38秒 | 日記
きのうは、次女が帰って来て、寝室の関係で
あたしと次女と郁子と三人で川の字になって寝て。
寝たんだけどポジションの関係と、ふたりのいびき、すごくて
昨夜はよく眠れなかった。
あたしもわるいんだけどね。
かたずけしないで無理やり布団をひいたから狭くてね。

昨日は山口正介さん(瞳さんの息子で作家)の父親回想録の本を
ずっと読み続けていたので、そのせいもあるかもしれない。
山口瞳さんの文章、小説や男性自身などの随筆は
ここ数年のうちに電子書籍になってるそうで、
(キンドルで1種類2200円均一だった)(高いか安いか判断するのはむづかしいね)
その、全集で言ったら月報のようなすたいるで、正介さんがこの時代、あの時代と
解説を加えているもの、それが割合に簡素な書籍で700円というので買ったのでした。

ぼくは、父親が1973年に買った(酒飲みの自己弁護)という連載エッセイで
はやくも中一で山口瞳さんのことを知っていましたが、
昭和63年に三鷹の個人企業に勤めるまで、
男性自身のことも、他の随筆も知りませんでしたから
それ以前の話はとても新鮮でした。
正介さんのお母様が神経症だというのは
うつの私から見ても大変だったと思うし、
正介さんが縁遠くなってしまうのも無理もないと感じました。

山口さんのお宅が前衛建築家の作品だというのも
大変だったと思います。
いまでこそ女性建築家や建築士は数が増えたし
以前より社会の認知は進んでいるだろうけれど
昭和40年代の前半、それも言っちゃ悪いけれど
住居学科の先生だったら、柔軟な建築家というよりも研究者でしょう。
いいように実験台にされてしまうのは明らかで、
いくら高橋義孝先生のご家族でも、そこで絶対服従しちゃうのねえって、
思いましたよ。
あたしだったら、絶対に個人の建築士には住居設計を頼まないですよ。
建築士にモノ頼むって、道楽ですから。
お道楽を出来る身分、建築士と丁々発止しながら
物を作り上げていく世帯主としての度量が無ければ、あるいは
お金を出してもらって、自分の作品を作らせてもらっているのに
さも我が手柄のように自慢をする建築家、建築士のことを
一人の人間として好きじゃなきゃ
とても彼らとは付き合えないですよ。
建築・土木の世界って旧弊で他者に対して閉鎖的だし
人々もあんまり社会性のある人たちではないしね。

そんなこんなを眠れない中、考えてしまいました。

山口さんも大変だったろうなあって。
正介さんも、お父様の物的な遺産を抱えながら
今後どうやって生きていくのだろうかって。


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