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神の働きを信じる④Believing For A Move Of God④

2025-02-10 23:16:47 | 日記
マタイ 6:6 ESV [6] しかし、あなたが祈るときは、自分の部屋に入って戸を閉じ、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 https://bible.com/bible/59/mat.6.6.ESV
Matthew 6:6 ESV [6] But when you pray, go into your room and shut the door and pray to your Father who is in secret. And your Father who sees in secret will reward you. https://bible.com/bible/59/mat.6.6.ESV

秘密の場所を見つける
Find Your Secret Place

イエスの生涯は親密さで特徴づけられており、イエスの生涯と宣教は祈りに満ちたものでした。イエスは定期的に祈りを捧げ、私たちにもそうするように教えています。このテキストで使用されている「部屋」という言葉は、ギリシャ語の「tameion」に由来し、「倉庫」と訳されます。R.T.フランスによると、「これは奥の部屋で、隔離されており、おそらく窓はなく、家の中で唯一鍵のかかるドアがあったと思われます。そのため、秘密の場所を意味することわざになっています。」
As we have seen Jesus’ life was marked with intimacy, the flow of His life and ministry was prayerful. He withdrew regularly to pray, and He teaches us to do the same. The word ‘room’ used in this text originates from the Greek word ‘tameion’ which translates as ‘storeroom.’ According to R.T. France “This was an inner room, secluded, probably windowless and possibly with the only lockable door in the house; it is thus proverbial for a secret place.”

あなたの秘密の祈りの場所はどこですか?
Where is your secret place of prayer?

祈り

主よ、私をあなたの中の秘密の場所、祈りとつながりの場所に導いてください。そこで私はあなたと完全に会うことができます。Gather25 に向けてあなたと関わろうとするとき、私たちのすべての行いが祈りに満ちたものとなりますように。
Prayer

Lord lead me to a secret place in you, a place of prayer and connection where I could fully meet with you. As we seek to engage with you for the build-up to Gather25 may all we do be prayerful.

偉大さとは何か②What Is Greatness②

2025-02-10 23:05:24 | 日記
マタイ 18:4 ESV [4] この幼子のように自分を低くする者は、天の王国で最も偉大な者です。 https://bible.com/bible/59/mat.18.4.ESV
Matthew 18:4 ESV [4] Whoever humbles himself like this child is the greatest in the kingdom of heaven. https://bible.com/bible/59/mat.18.4.ESV

偉大さは子供のようだ
Greatness Is Childlike

宗教指導者、信者、傍観者と権力と影響力について会話をしている最中に、イエスは予想外のことをしました。子供を指さしたのです。
In the middle of a conversation about power and influence with religious leaders, followers, and onlookers, Jesus did something unexpected - he pointed to a child.

「この幼子のように自分を低くする者が、天の御国で一番偉い者です。」(マタイ18:4)
“Whoever humbles himself like this child is the greatest in the kingdom of heaven” (Matthew 18:4).

当時も、そして今日でも多くの人々にとって、子供は印象的な存在、あるいは行動の手本となるべき社会の一員とはみなされていません。
At the time, and for many today, children aren’t regarded as impressive or members of society to model our behaviors from.

子どもたちは印象的な経歴を持っていません。
Children don’t have impressive resumes.

彼らは多くのスキルを習得していません。

彼らは「愚かな」質問をし、突飛なことを言うことがよくあります。
They haven’t mastered many skills.

They ask “stupid” questions and will often say outlandish things.

子どもは「まとまって」いません。彼らは質問をします…いつも。

子どもは世界を額面通りに捉えます。見たものがそのまま現実になります。

そしてまさにそれが、イエスが彼らを模範として選んだ理由です。
Children are not “put together.” They ask questions… All. The. Time.

Children approach the world at face value. What you see is what you get.

And that’s exactly why Jesus chose them as an example.

子どもたちは、純粋な好奇心と誠実さを持って人生に取り組みます。喜びを抑制したり、社会的または職業上の最大の利益を得るために反応を計算したりすることを学んでいません。彼らはすべての瞬間に完全に存在し、学ぶことに熱心で、助けが必要であることを示すことを恐れません。
Children approach life with genuine curiosity and authenticity. They haven’t learned to filter their joy or calculate their responses for maximum social or career advantage. They’re fully present in each moment, eager to learn, and unafraid to show their need for help.

イエスの教えは、子供っぽさや乱暴さについてではなく、子供たちが体現する、人生に対する誠実でオープンで傷つきやすい姿勢を取り戻すことについてでした。私たちの多くは、成功や偉大さについての自分の考えに突き進むあまり、その姿勢を失ってしまいがちです。
Jesus’ teaching wasn’t about being childish or wild; it was about recapturing the genuine, open, vulnerable approach to life, embodied by kids, that so many of us often lose in our rush toward our own ideas of success and greatness.

自己反省

自分の社会的地位や生活環境に関わらず、より謙虚で子供のようなオープンさと誠実さを受け入れるために、私の人生や日々の交流のどこでイエスの模範と教えを活用できるだろうか?
Self Reflection

Where in my life and daily interactions might I use Jesus’ example and teachings to embrace a more humble, childlike openness and authenticity, regardless of my social status or life circumstances?



思考の力The Power of Thinking

2025-02-10 16:40:06 | 日記
イザヤ書 26:3 ESV [3] あなたは、あなたに心を定めて頼る者を、完全な平安のうちに守られます。 https://bible.com/bible/59/isa.26.3.ESV
Isaiah 26:3 ESV [3] You keep him in perfect peace whose mind is stayed on you, because he trusts in you. https://bible.com/bible/59/isa.26.3.ESV

思考の力

思考によって、不安や幸福感、恐怖、満足感が増すということをご存知でしたか? そして、あなたが考えることに時間を費やすことは、あなたの感情、行動、そして最終的にはあなたの性格に影響を与える力を持っています。あなたの思考は、あなたの最も強力な部分です。

聖書は私たちの思考について多くのことを語っています。なぜなら、神は私たちの思考の力を知っているからです。イザヤ書 26:3 には、私たちが神に心を集中させていれば、神は私たちの心を完全な平和に保ってくれると書かれています。

想像できますか? 完全な平和です。

私たちが神と神の言葉に思考を集中させる時間を長く取れば取るほど、私たちの心はより平和に保たれます。それは、特に平和と統一を絶えず求めている世界においては、強力な考えです。

この平和の出発点は、神を信頼することです。私たちは、神がどのような方であるかを信頼し、神が私たちのためにしてくださったことに信仰を持って、神のもとに来なければなりません。私たちは神が善良で公正であることを知っています。 ですから、神を信じるなら、私たちは神に受け入れられ、愛されていると分かります。そして、神を信頼する人は神と神の存在に近づくことができます。

完全な平和は、常に神を信頼し、神に思いを集中する人に与えられます。

あなたは神に関することにどれだけの思いを費やしていますか? 不安やストレスを感じているとき、神に心を集中していますか? 一日を通して神について考えるように自分に言い聞かせ続けるための簡単な方法は何ですか?

自分の考えの力と、聖書を通して神に近づくことができることについて、少し時間をかけて考えてみましょう。 神に思いを集中する習慣を身につけ、神の完全な平和を体験できるようにしましょう。

The Power of Thinking

Did you know that thoughts can actually make you more anxious, happy, fearful, or content? And what you spend time thinking about has the power to affect your emotions, your actions, and ultimately, your character? Your thoughts are some of the most powerful things about you.

Scripture has a lot to say about our thoughts because God knows the power of our minds. Isaiah 26:3 says that God will keep our hearts in perfect peace if we keep our minds fixed on Him.

Can you imagine that? Perfect peace.

The more time we spend focusing our thoughts on God and His Word, the more our hearts will be kept in peace. That is a powerful thought, especially in a world that is constantly looking for peace and unity.

The starting point for this peace is trusting God. We must come to Him trusting in who He is, and having faith in what He has done for us. We know that God is good and just. So if we have faith in Him, we know that we are accepted and loved by Him. And those who trust in God are given access to Him and His presence.

Perfect peace is available to those who consistently trust in God, and fix their thoughts on Him.

How many of your thoughts are spent on things relating to God? Do you keep your mind focused on Him when you’re feeling anxious or stressed? What are some simple ways you can continue to remind yourself to think about God throughout your day?

Spend some time thinking about the power of your own thoughts and the access you’ve been given to God through Scripture. Commit to building the habit of centering your thoughts on God so that you can experience His perfect peace.

いかなる状況においても平和を祈る
A Prayer for Peace in all Circumstances

神様、私に平安をもたらすと約束してくださり感謝します。どんな状況でも、私があなたとあなたの良い約束に心を留め続けることができるよう助けてください。私はあなたの支配を信頼しているので、何も心配する必要がないことを知っています。どうかこの真実を毎日私に思い出させてください。イエス様の御名により、アーメン。
God, thank You for promising to bring me peace. In every situation, help me to continue to keep my mind on You and Your good promises. Because I trust in Your control, I know I don’t have to be anxious about anything. Please remind me every day of this truth. In Jesus’ name, Amen.

キリストの証

2025-02-10 06:41:17 | 日記

キリストの証

去年の10月に乳癌の局所再発疑いが浮上。同時に前胸部・鎖骨・腋窩の激痛が出現。体中の節々は痛くなるし、いよいよリンパ節転移で死ぬのも時間の問題かなと覚悟をしました。
しかし、PETや骨シンチをしても異常はなく、局所の画像診断上も「術後の亀裂?のようなもの」と言われました。
色々な自覚症状が出現している事と、3年前に告知を受けた時に「まあまあ癌が大きく乳頭の方までいってるから全摘した方がいい」と言われたのを、自分の意思で部分切除にした事もあり、どうあっても画像診断だけで「癌ではない」と確定診断をされる事に納得が行きませんでした。生検をして欲しいとお願いしても聞き入れてもらえず、病院をたらい回しにされました。3年間ずっとかかっていた病院を追い出され、市民病院で上記の診断を受けたのですが、やはり生検はしてもらえず。生検が出来る設備のある乳腺外科を転々とするしかないという状況に。そして生検をしてくれる医師に3件目でやっと巡り合い、生検どころか全摘をしてくれる事に。晴れて12月に手術をし、病理の結果は陰性。今のところ全く癌がない状態である事がわかり、ホット一息。キリストに心から感謝しました。

で、じゃああの鎖骨などの激痛や節々の痛みは一体何だったのか?
鎖骨の激痛は、市民病院でMRIをとってくれて頚椎ヘルニアと判明。癌の再発かもと大騒ぎしていたあのタイミングで?今まで首が痛いなんて感じた事なかったのに?急にヘルニア?と驚きました。
残るは節々の痛み。これはどんなに頭をひねってもわからず、原因不明なまま考えあぐねていました。

手術も無事終わり、落ち着いて新年を迎えられて良かったと、キリストに感謝をしていた1月の半ば頃、一匹の大きな虫が部屋に入って来ました。足が長く、いかにも悪そうな顔つきの虫だったので、やっつける事にしました。捕まえられるか心配でしたが、思っていたより動きが鈍く、あっさり確保。するとヤツの体から血液が出てくるではないか!!だから動きが鈍かったのか!!この真冬に吸血系の蚊?!調べると、長い名前の蚊で、デング熱などの感染症も発症し得るやばいヤツでした。
で、思い出しました。丁度癌の再発だと大騒ぎしていた去年の10月に、蚊に刺された事を。もしかして、この悪い顔した蚊に刺された事が原因で節々が痛くなったのではないか?親指の付け根が刺されたのに、上腕の方まで大きな発疹が複数出現し、痒いというより痛くて仕方がなかったのを思いだしたのです。普通の蚊ではないな、とは思いましたが、とにかく癌の再発で頭が一杯だったので、あまり気にも止めず、すっかり忘れていました。10月~2月位までがその蚊の活動期間らしいので、間違いないのではないかと。
そして、まるでこの事を知らせるかのように、私の状態が落ち着いた頃に、誰かの血を吸った後の状態で、私の部屋に現れた蚊。キリストを感じずにはいられませんでした。

総括すると、同時期に、術後乳房内部の亀裂、頚椎ヘルニアの劇症期から来る激痛、謎の蚊にさされた事による節々の痛みが重なった、という事だったのです。
こんな不思議な出来事は、もちろんキリストなんだろうと思いました。この経験を通して、確かにより一層真剣に祈るようになったし、信仰がまた一段と深く強くなりました。
しかし、それだけではなかったのです。というか、キリストの真の目的は、全く別の所にあったのです。

病理ではっきり癌かどうかわかるまで、十中八九再発だと思っていたので、娘に連絡をし状況を説明しました。すると、珍しく返信が来たのです。DOCOMOの携帯の契約が親名義で、解約が出来ない状態だから、死ぬ前にその手続をして欲しいと依頼が来たのです。
娘にはとても嫌われていて、この3年間ずっと、いくら連絡をしても無視され続け、宅配便も拒否され、家に行っても居留守を使われていました。しかし、再開する機会が到来したのです!!
キリストに再会してから3年間、娘にはキリストの事をずっと手紙やメールで伝え続け、祈り続けて来ました。「何十年かかろうとも、キリストを伝え続けなさい」とキリストから言われていたので、長期戦なのだろうと覚悟をしていましたが、意外と早めにキリストが道を開いてくれました。
あの去年の10月の辛かった激痛や全身状態の異常事態がなかったら、「もう死ぬんだ」と私が本気で思っていなかったら、娘には会えなかったのです。
そしてこの2月にも、チョコレートを持って訪問した所、やっと、ドアを開けてくれたのです!!
前回よりもキリストの話を真面目に聞いてくれ、一緒にお祈りが出来ました。

これからキリストが娘を救いに導いてくれるのです。

あの不思議な出来事の目的は、キリストの真の目的は、娘との再会、娘にキリストの福音を伝える事だったのです。

ヨハネ 13:7
[7] イエスは答えて言われた。「わたしのしていることは、今はあなたには分からないが、あとで分かるようになる。」

これはキリストあるあるで、後になってからキリストのしている事が明らかになる、という事のとてもいい例です。

黙示録 3:20
[20] 見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは彼のところに入って彼と食事をし、彼もわたしと食事をするであろう。

これは、娘に「心のドアをキリストに開いて下さい」とメッセージを送り続けてきて、やっとドアを開けた、という、感動的な話です。
聖霊がずっと休まず働いている事、キリストは私達の祈りを聞き、約束を必ず守る誠実な神である事、そしてキリストは「共に食事をする」という親愛の神である事の証です。

一人一人の心のドアは、内側にしかドアノブはありません。キリストは外からドアを叩く事しか出来ません。私達の「自由意思」を尊重してくれるのです。開けるか開けないかは、私達一人一人の意思にかかっています。
皆さんも、どうか、キリストに心のドアを開いて下さい。キリストはずっと、皆さんの心の戸の外に立って叩き続けています。そして、皆さんと共に食事をしたいと、待っています。

ローマ人への手紙 8:28
[28] 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全ての事を働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

今回のように、一見辛い試練のように見える事も、キリストの愛と憐れみにより、神は私達にとって益=良い事にして下さいます。
そして何より、キリストと共に歩む事は、とっても、楽しいです。この喜びを是非、皆さんも味わって下さい😊


《DANCING ON THE WAVES》
https://youtu.be/o67xlnFw51s?si=-HxZqctL-vROYSO-

HILL SONGの素敵なWORSHIP SONGです。
私は泣きながら何回も聞き、歌いました。
皆さんも是非聞いてみて下さい。
「I'M STANDING AT YOUR DOOR:MY HEART IS CALLING YOURS:COME FALLING TO MY ARMS♪」キリストがドアの前に立って、皆さんにドアを開けるよう呼んでいます。
そして、心のドアをキリストに開け、キリストを、キリストの愛を受け入れて下さい😊


信者の生活における祈り Prayer in the Believer’s Life

2025-02-10 00:15:07 | 日記
信者の生活における祈り
Prayer in the Believer’s Life

神とのコミュニケーションに時間を費やすことは、神に近づくための最良の方法です。
Spending time in communication with God is the best way to grow close to Him.

イザヤ書 57:14-15 14 そしてこう言われる。「建てよ、建てよ、道を整えよ。わが民の道にあるすべての障害を取り除け。」 15 永遠に生き、その名を聖なるとされる、高く崇高な方がこう言われる。「わたしは高く聖なる所に住み、また、悔い改め、心のへりくだった者とともに住み、へりくだった者の霊を生き返らせ、悔い改めた者の心を生き返らせる。」
Isaiah 57:14-15 14 And it will be said, ``Build up, build up, prepare the way, Remove every obstacle out of the way of My people." 15 For thus says the high and exalted One Who lives forever, whose name is Holy, ``I dwell on a high and holy place, And also with the contrite and lowly of spirit In order to revive the spirit of the lowly And to revive the heart of the contrite.

テサロニケ人への第一の手紙 5:17 17 絶えず祈りなさい。
1 Thessalonians 5:17 17 pray without ceasing;

信者の生活の中で最も重要な訓練の一つは祈りです。祈りは、神との深く大切な交わりへと進む手段です。
One of the most important disciplines in the life of a believer is prayer. It is the means by which we move into deep and cherished fellowship with God.

祈るとき、私たちはただ主に話しかけ、主が答えてくださることを信じています。そうすることで、私たちは主の答えに耳を傾け、待つことを学びます。そして主は、私たちがこの霊的な礼拝行為を通して主を敬うことを喜ばれます。
When we pray, we’re simply talking to the Lord and trusting that He will answer. In doing so, we learn to listen and wait for His response. And He loves for us to honor Him through this spiritual act of worship.

確かに、祈りは神を敬う最良の方法の一つです。天の父に祈るとき、私たちは彼が神であり、「高くあがめられた方、永遠に生きる方、その名は聖なる方」(イザヤ書 57:15)であることを認めているのです。神だけが栄光を受けるに値し、私たちは「絶えず祈る」(テサロニケ第一 5:17)ときに神を敬います。つまり、私たちは一日中神に焦点を当てた態度を維持し、私たちの生活のあらゆる細部を神に支配していただくよう絶えず求めなければならないのです。
Indeed, prayer is one of the best ways to honor God. When we pray to our heavenly Father, we are acknowledging that He is God, “the high and exalted One who lives forever, whose name is Holy” (Isa. 57:15). God alone deserves glory, and we honor Him when we “pray without ceasing” (1 Thessalonians 5:17). That is, we are to maintain a God-focused attitude throughout the day—continually asking Him to govern every detail of our life.

今日の聖句で、神は「わたしは高く聖なる所に住み、また、悔い改めて心のへりくだった人々と共に住む」(15節)と言われます。これは、祈りにおいて私たちの動機と心の状態が非常に重要であることを意味します。
In today’s passage, God says, “I dwell on a high and holy place, and also with the contrite and lowly of spirit” (v. 15). This means that our motives and the condition of our heart are very important in prayer.

天の御父は子供たちとの親密な関係を望んでおられます。神とのコミュニケーションに時間を費やすことは、その親密さを育む最良の方法です。
The heavenly Father longs for an intimate relationship with His children. Time spent in communication with Him is the best way to develop that closeness.