ローマの信徒への手紙 8:31-32 新共同訳
[31] では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。 [32] わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
ほとんどの人は、孤児院の前を通りかかった豚と鶏の話を知っているでしょう。 「朝食をあげましょう」と鶏が言いました。 これに対して豚は、「あなたにとっては寄付ですが、私にとっては全面的な献身です!」と答えました。
厳しい状況が私たちを打ちのめすとき、私たちは驚くべき慰めと励ましを得ます。神は私たちの傷と困窮のためにすぐに寄付をしたわけではありません。 彼は全面的にコミットしました。
私たちがどんなことを経験しても、キリストはさらに進んでくださいました。 私たちはキリストほど孤独で、傷つき、苦しみを経験することはありません。 私たちがどこにいても、キリストは私たちのためにすべてを与えてくださったので、私たちとともにおられます。
私たちの勝利は、問題がなかったことにあるのではなく、私たちがどこにいても、キリストがすでに道を切り開いてくださったという事実にあります。
そして、問題はこれです:彼はそうする必要はありませんでした! 彼はそうすることを選びました。
そして今、私たちが罪に身を売ったとき、私たちを買い戻すためにすべてを捨てたこの神も、
- 私たちに神の子供になる権利を与えてください、
- 私たちを聖霊で満たしてくださいます
- そして私たちが永遠に神と共にいるための場所を準備してくださいます。
これが神が私たちのためにご自身を与えてくださる程度であり、キリストがすでに私たちのために苦しみ、罪、死を克服してくださったことを覚えているなら、私たちは目を困難にしてこう言うことができるでしょう。
「おい、困った!それが最善か?」
(このシリーズをお楽しみいただければ幸いです!)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます