詩編 4:1-9 新共同訳
[1] 【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。ダビデの詩。】 [2] 呼び求めるわたしに答えてください わたしの正しさを認めてくださる神よ。 苦難から解き放ってください 憐れんで、祈りを聞いてください。 [3] 人の子らよ いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか むなしさを愛し、偽りを求めるのか。〔セラ [4] 主の慈しみに生きる人を主は見分けて 呼び求める声を聞いてくださると知れ。 [5] おののいて罪を離れよ。 横たわるときも自らの心と語り そして沈黙に入れ。〔セラ [6] ふさわしい献げ物をささげて、主に依り頼め。 [7] 恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。 主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。 [8] 人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。 それにもまさる喜びを わたしの心にお与えください。 [9] 平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。 主よ、あなただけが、確かに わたしをここに住まわせてくださるのです。
「いつまで妄想を愛し、偽りの神を求めるのですか?」(2節)。 私たちは、お金、財産、成功が答えになると考えています。 しかし、これらは妄想であり、偽りの神です。 ダビデが言うように、真の喜びと平和は神との関係の中に見出されます(3節)。
私たちは問題のない人生を約束されているわけではありません。詩篇は次の叫びで始まります。 わたしを憐れんで、わたしの祈りを聞いてください』(1節b)。 ダビデは神が聞いてくださると確信しています。「神は私が呼びかける一瞬の瞬間に耳を傾けてくださいます」(v.3b、MSG)。
喜びと平和の真の源は神だけです。「主よ、御顔の光が私たちを照らしてくださいますように。」 あなたは私の心を、彼らの穀物や新しいぶどう酒が豊かに実ったときよりも大きな喜びで満たしてくれました。 「私は横になって安らかに眠ります。主よ、あなただけが私を安全に住まわせてください。」(6節b-8節)。
神の臨在には、物質的な繁栄や贅沢よりも大きな喜びがあります。 繁栄は、それがもたらす見かけの安全にもかかわらず、必ずしも安らかな眠りにつながるわけではありません。 神の御心によってのみ、私たちは真に「安全に住む」ことができます(8節)。
主よ、御顔の光が私を照らしてくださいますように。 私の心をあなたの存在の喜びで満たし、安らかな眠りを与えてください。
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