こんばんは
故郷の長崎に住む兄から遅ればせながら年賀状が届きました。
年賀状は雲仙(普賢岳)の雪景色でした。
噴火した普賢岳がタンコブの様に膨らんだままです。
火砕流から既に30年も過ぎてしまいました。
よく遊びに行っていた場所であり、妻の実家も雲仙の奥側にあります。
懐かしすぎる写真です。
【故郷 遊び呆けた長崎の景色】
とんでもない田舎で、小学校まで往復8キロでした。
途中で果物むきや葦の刀を作るための小刀と買い食い用の小銭を
もって徒歩で通いました。
おかげで足腰はへたばりません。
毎日が遠足のような生活でした。
↑ 雲仙は富士山と同じくらいシンボルの山です
↑ 噴火から早30年も経ちます
↑ 遊び場だった有明海 ムツゴロウのひっかけ吊りを得意な人(プロです)
↑ 塩水の中でも育つハマナツナの花(真っ赤に染まります)
↑ 用水路は鳥たちの休憩の場です
↑ 干拓地の閉め切りの様子
↑ 干拓地が乾き始めると何キロも沖まで自転車で行けます
↑ コスモスの試験栽培(遠くに普賢岳が見えます。)
↑ 朝日は雲仙(普賢岳)の方向から上がってきます
↑ 棚田の様な美味しいお米を作るために、山から水を引き込んであります。
↑ 氷が張る冬は水をポンプで汲み上げます。
そこにはあまりの寒さに魚はその場にだまっているだけです。
それを手づかみで拾い上げます。 ・・・大魚で超面白いです
↑ 夜明け前の早朝
↑ のどかな田園風景です
↑ 早朝は超綺麗です
↑ TV番組より
↑ 読売新聞記事(2021/11/06夕刊)
↑ 故郷からの年賀状
【現在の住処 丹沢に囲まれた秦野市の景色】
海と大きな川はありませんが、なんとなく田舎っぽいところが
故郷、長崎に似ています。
お店と自動販売機がない所が田舎に似ています。
自然だけがご馳走です。
↑ 自然は山だらけ
↑ 丹沢をバックに出初式
↑ 丹沢の尾根走りをする鳶の人
懐かしいことでしょう!
あれから30年ですか、わたしもよく覚えています。
面白そうですねぇ
その様を見てみたいと思えど遠いです
こんばんは。
いつも温かいコメント頂き感謝申し上げます。
今年も田舎へは帰れませんでした。
田舎の兄が送ってくれる写真が一番のお土産です。
実家は、海抜ゼロメートルの古い干拓地にあります。
田舎で兄家族が農業をやっています。
海が近く、芦が生い茂る川があるのでもう渡り鳥がいっぱいの世界です。
いわどの山荘主人様のブログで拝見する「越辺川」の景色に似ていると思っています。
妻の実家が近い雲仙岳は今の富士山の様な存在でした。
温泉も何度も行っていたので、あたりまえの優しい山の感覚でした。
しかし、まさか噴火するとは。 しかも凄い想像を絶する破壊力でした。
今では、島原本線は途中までしか回復しておらず、被害が出た付近から先は
廃線になってしまいました。
妻の実家へは、今では車しか移動手段がありません。
でも、雲仙(普賢岳)が写った写真を見ることで、昔の記憶が昨日の事の様によみがえってしまいます。
こんばんは
コメント頂き感謝申し上げます。
素敵なブログ楽しく拝見させて頂いています。
美味しそうなお酒やおつまみの写真羨ましく思います。
健康なお体なんですね。羨ましいです。
私は今では栄養指導を受けている身ですので、健康のありがたみをつくづく感じます。
ブログの「魚手づかみ」の記事ですが
真冬で氷が川一面に張ります。
長さ100メートルほどある川をせき止め、ポンプで中の水をくみ出します。
川は表面は氷が張っていますが、氷の下の水は凍ってはいないので
魚はまだ泳ぎまわっています。
どんどん水を抜くと、表面にあった氷は川底まで下がります。
そうすると水の水温は下がり、もう魚は寒過ぎて動けなくなってしまいます。
川の上では大きな薪を何本も燃やして暖をとる準備をします。
首まである長靴をはいて、手は軍手、コンテナの籠をもって川に入ります。
足首までしか水はありません。 川底でただだまっている魚たちをどんどん
拾っていきます。
生きた魚が動けないなんて聞いたことがありません。
もう沢山に魚を拾いまくります。
川の中に入った人間も手の指は寒くて曲がったままです。
急いで暖をとります。
大人も子供も一緒になって遊びます。
世の中は頭がいい方がおられ、この特性を生かして「氷シャーベット」
の中に高級魚を入れて輸送する方たちがいるんですね。
(御参考)氷温技術とは
http://www.hyo-on.or.jp/index.php?view=9236
(追伸)
この頃、池の外来魚を処理するために、池の水をぬいて作業する番組を良く見かけます。
この作業を、真冬の氷が張った時をねらってやると同じような事が体験できると思います。
超楽しいと思います。