形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

読書の楽しみ

2010-11-09 18:28:32 | Weblog

六代目・三遊亭圓生の書いた「寄席楽屋帳」(青蛙房社)を読んだ。
この本は上野で、古書店が開いていた催事場のようなところで見つけた。

昔の落語家の本はけっこう好きで読む。 志ん生の本もあらかた読んだ。
以前は寄席にたまに行っていたので、その語り口は馴染みがあり、話の
内容だけでなく、口調がなんとなく好きなのだ。 本を読んで、口調と
いうのもおかしいが、私は志ん生が好きで、集めたものをよく聞いていた。
だから耳にその口調が残っていて、本を読みながら、話を聞いているよう
な感じになる。

おそらくこの本も、圓生の話を口述筆記したものじゃないかと思う。
「お湯イ、入って・・・」 とか、「あれアねエ、太夫と才蔵と・・・」 
などの落語の口調そのもので書いてあるから、寄席で噺を聞いている
ような気分になる。

志ん生も圓生も、江戸っ子の言葉だから、歯切れがよく、威勢がいい。
私が以前勤めていたところは、浅草の近くだったので江戸弁は聞きなれている。 
「ひ」と「し」を入れ替えて話す。 百円は、しゃくえん、拾うは、しろう。
実際、ベッドの患者さんから、「しゃくえん玉、しろってよ」といわれたこともある。 
もっと凄くておかしいのは、新聞紙を、ひんぶんひで、これはお年寄りだった。

そんなことを味わい、楽しんで読んでいるので、読むのがかなり遅い。
もともと読むのが遅いほうだが、この本が、あまりにも読みすすまないので、
このあいだ電車の中で読んだとき速さを計ってみた。 
10頁読むのに30分もかかっていた。 1ページに3分もかけるのはかなり
遅いんじゃないかと思う。

本を早く読むようにすれば、沢山の本が読めるようになると思い、
本屋で売っていた速読の本を買い、練習してみたことがある。 
たしかに早く読めるようになった。 でもその分、味わいがなく
なってしまい、なんのために読書を楽しむのかわからないと思い、
やめてしまった。 いろいろな情報を、沢山集めるために本を読む
のなら有用だろうが、楽しみで読む者には早さは無用だし、
かえってつまらなくする。

時間が惜しいから、私はなるべく無駄な読書はしたくない。
無駄というのは、読んで面白くないという意味である。 そのために
決めているのが、始めの5、60ページ読んでつまらないと思ったら、
それから先を読むのをやめてしまう。 本の値段は関係ない。 
あとでまとめて古本屋行きになる。

ずっと以前は、我慢して最後まで読んでいた。 結局、我慢しながら
読む本は、読み終わって、あ~ぁ、つまらなかったというのが圧倒的に
多いのに気づいた。 すごく時間を無駄にしたような気になり、本の
始めのほうで、あとを読むか決めるようになった。 くだらない本と
いうわけではなく、私が面白くないだけである。  

  
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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