形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

ふんわり

2010-11-19 16:28:04 | 自然と野遊び

過去を振り返ってみると、ああ危なかったなと思うことが、誰にでもあるので
はないだろうか。 危ないというのは、直接、命がというのもあるだろうし、
そこまでいかなくとも、肉体的に大きなダメージを残しかねないものもある。 
社会的な意味で危なかった、ということもあるかもしれない。 あるいは本人
はまったく知らずに、それらの危険を、間一髪で逃れている場合もきっとある
のだろう。

尊敬する、かなり昔に亡くなられた方の本を以前読んでいたら、その中で、
自分は振り返ってみると、何かに守られているような気がしてならない、
ということを書かれていた。 その方は生きていた当時、新興宗教のいく
つかと巨岩のように対峙し、峻烈に闘ったこともある方で、迷信家などで
はない。

本を読んだちょうどその頃、私も昔にあったことをなんとなく振り返って
いて、あのときは危なかった、運がよかったなということを考えていた。 
それは一つ二つではなかった。 だからその方の、何かに守られている、
という言葉が妙に心に入った。 こういうと、守護霊とかいう人もいるが、
そういうことは私にはわからない。


二十歳の頃、幼なじみの友人と丹沢の葛葉川に沢登りに行った。 その頃の
葛葉川はあまり人の入るところではなく、休日でもめったに人に行き交った
ことがなかった。 最近の沢の案内書などを見ると、今はけっこう人気があ
るようだ。


秋も終わりに近い頃、私たちは紅葉の葛葉川を快適に遡行していた。葛葉川
は小滝などが連続するところもあり、明るく登りやすい沢である。

沢の終りは、それまでの景色とは打ってかわって、荒涼とした大小の岩が
ゴロゴロと転がるガレ場になり、前方には断崖が見えてくる。

友人はそれを避けて、草付きの尾根につけられた道を歩いていったが、私は、
少しだけと命綱もつけずにその岩を登ってみた。 近くには「危険、登るな」
「落石危険」などの立て札があった。(丹沢は関東大震災のときの、マグニ
チュード7を越える余震の震源地で、岩がゆるんでいる。)

登ってみると階段状で、一段一段の間隔は高いが楽に登れる壁だった。
私は知らず知らずに、いつのまにか高度を上げていて、下を見たときビルの
6、7階ぐらいの高さまで登っていた。 足をかけている階段状の岩の幅は、
次第にごく狭くなってくる。 谷底には巨岩がゴロゴロしていて、落ちたら
助からないなと思い、そこから横に移動して草付きに出て道に戻ろうとした。

そのときだった。 手で確かめて掴んだはずの岩が、力を入れたとたんスポッ
と抜けた。 体が岩に乗せた足を軸にして、弧を描くように、ふんわり後ろに
浮いた。 とっさに目の前にあった、岩の裂け目に根を張ったごく小さな潅木
を、拝むように両手で掴み、転落をまぬがれた。 瞬間のことで、そのときは
恐怖も何もない。 私は握り締めた潅木を頼りに、体勢を立て直し草付きに
上がった。 あの潅木が抜けていたら・・・・・震えるような恐怖感はあとから
やってきた。
                     

形之医学・しんそう療方 東京小石川
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