滋賀県の城郭研究家の長谷川博美先生の案内で、米原市の古ん多久山城の見学だった。オマケで番場宿/中山道番沿いの番場城も見学した。ところが番場城はオマケではな見どころが多い遺構が豊富な城址と屋敷跡がセットになっていた。
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谷戸形式の屋敷跡/殿屋敷
谷間を削平して屋敷地として利用するのは、関東に多い形で関西地方ではめずらしいと解説が有った。3段になった大きな平面は各々堀を備えている。現状はかなり埋まっているが、5mほどの幅が確認できる。堀には水が有るが、当時も水があったかは即断できないそうです。三重の水堀であったとすれば、初めて見るものでした。
なおWikipediaによれば 「谷戸」は丘陵地の中の森林に囲まれた谷あいの土地で、谷(や、やと)・谷津(やつ)・谷地(やち)・谷那(やな)などとも呼ばれ、主に東日本(関東地方・東北地方)で多く見られる。中国・九州などの西日本では迫・佐古(さこ)、岐阜県では洞(ほら)と呼ぶ。となっており愛知県でも洞のつく地名は多い。

番場城 北郭/土塁上の環状列石
何やら意味ありげなストーンサークル状の石の並びに興味津々だったが、長谷川先生の説明を聞いて参加者全員ガッカリ! 地元の人が愛犬を埋葬し、印として石を並べたものだそうだ。
石列や石積を見ても、城が稼働していた時のものかどうか、慎重に見なければいけないと改めて思った。
長谷川先生の資料によれば、名神高速道路の工事で北側の一部が削られて、その部分の「殿屋敷」は消滅したようですが、山城部分のほとんどと、谷戸形式の殿屋敷の半分ぐらいが残ったのは良かったと思いました。
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谷戸形式の屋敷跡/殿屋敷
谷間を削平して屋敷地として利用するのは、関東に多い形で関西地方ではめずらしいと解説が有った。3段になった大きな平面は各々堀を備えている。現状はかなり埋まっているが、5mほどの幅が確認できる。堀には水が有るが、当時も水があったかは即断できないそうです。三重の水堀であったとすれば、初めて見るものでした。
なおWikipediaによれば 「谷戸」は丘陵地の中の森林に囲まれた谷あいの土地で、谷(や、やと)・谷津(やつ)・谷地(やち)・谷那(やな)などとも呼ばれ、主に東日本(関東地方・東北地方)で多く見られる。中国・九州などの西日本では迫・佐古(さこ)、岐阜県では洞(ほら)と呼ぶ。となっており愛知県でも洞のつく地名は多い。

番場城 北郭/土塁上の環状列石
何やら意味ありげなストーンサークル状の石の並びに興味津々だったが、長谷川先生の説明を聞いて参加者全員ガッカリ! 地元の人が愛犬を埋葬し、印として石を並べたものだそうだ。
石列や石積を見ても、城が稼働していた時のものかどうか、慎重に見なければいけないと改めて思った。
長谷川先生の資料によれば、名神高速道路の工事で北側の一部が削られて、その部分の「殿屋敷」は消滅したようですが、山城部分のほとんどと、谷戸形式の殿屋敷の半分ぐらいが残ったのは良かったと思いました。