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大洞城 美濃 その2 石造りの城郭、堀切や竪堀もよく残り興味深い

2023-02-25 | 歴史

大洞城は岐阜県関市富之保にあります。その1では通路cを進み、石垣③まで見学しました。今回の参考資料も「 岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第2集」 岐阜県教育委員会2003 などです。※その1は→こちら


大洞城 道bは林道の敷設で失われ、枡形虎口 アも石垣の一部のみが残る
 道aは今も踏跡が明瞭に残り⑥付近は段差がありました。資料によるとアの位置に石垣造りの枡形虎口があるとされていましたが、林道工事によって石垣の一部が残るのみでした。


大洞城 道cから石垣③を見上げる  東から   高さは3m程ありそう 見どころです!
 石垣③の上にはⅠ郭とⅡ郭があり、通路cを見下ろす構造になっていたようです。荒々しい石垣が見どころでしたが、少し崩れたところがあり通路cには転落石がいくつも転がっていました。 


大洞城 通路cとⅡ郭 東から
 Ⅱ郭は南辺が石垣の馬出曲輪のようでした。道は180度折り返していました。折り返す地点はⅠ郭からの横矢が掛るのではないかと思いました。


大洞城 Ⅱ郭 右にⅠ郭南東部の切岸石垣 東から
 写真の右手はⅠ郭切岸の腰巻状の石垣で、左奥にⅠ郭への虎口が設けられていました。石垣の一部に崩落が見られました。



大洞城 Ⅰ郭東辺の虎口①と石垣 Ⅱ郭から
 Ⅱ郭からⅠ郭へは登りの平虎口になっていました。虎口右手(東側)の切岸は腰巻状の石垣が積まれていました。


大洞城 Ⅰ郭 南東から 土壇d の右奥に小祠
 Ⅰ郭には土壇地形dがあり、小祠が祀られていました。Ⅰ郭はほぼ方形で北東辺は自然地形の切岸でしたが残りの3辺は石垣が設けられて厳重な守りになっていたようです。土壇dの意味合いは不明ですが、信仰の建物などが有った子もしれないと想像しましたがどうでしょう。


大洞城 帯曲輪④ 南から 右手上にⅠ郭
 Ⅰ郭の南と西の急で高さのある切岸の下には帯曲輪④が取り巻いていました。


大洞城 Ⅰ郭 南西隅の石垣 崩落が進み落石が見られる
 Ⅰ郭の北東辺以外の三辺には石垣があった可能性が考えられますが、今も部分的に石垣が残り転落石もみられました。


大洞城 堀切E 北東下から
 Ⅰ郭の北側尾根には堀切Eと堀切Bの二条の堀切が設けられて北尾根を遮断していました。堀切Fは片ながれの堀切ですが、明瞭に確認が出来ました。


大洞城 平場⑤ 林業に関連する平場か
 北尾根の平場⑤は尾根をきれいに削平した平場でした。付近にはワイヤーロープが何本も残っていましたので、近年の林業で木材の吊降ろしを行う拠点になっていた可能性がありそうでした。往時の平場を利用したかもしれませんね。


大洞城 堀切B 土橋から西側の堀切を見る  東から
 堀切Bは北尾根を断ち切って、北尾根からの侵入に備えてと思われます。幅に比べて深さが浅い堀切でした。


大洞城 長大な竪堀A 上から
 南西方向からの回り込みに備えたと思われる竪堀Aは長大で、途中に段差がありました。堀切Cと合わせて南西尾根からの侵入に備えたものと思われます。


大洞城 Ⅲ郭 林道敷設時に改変があったと思われる
 Ⅲ郭は平面図的には往時の姿をほぼ留めているようですが、曲輪内は林道と接続してきれいに整地されていました。


大洞城 堀切C 東下から 奥に土橋
 Ⅲ郭西端部には南西尾根を断ち切る堀切Cが設けられ、南西尾根からの侵入に備えていたようです。

大洞城は山上と山下に遺構が残り、伝承などで古くからの存在が伺われますが、今見る山上の城郭は石垣が積まれ、複雑な形状が残る城郭でした。近年の林道敷設で失わた部分が少しありましたが、興味深い遺構は殆ど残っていて、しっかり楽しめて良かったです。※その1は→こちら