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三河・梅薮屋敷 秦梨郷の南端の断崖絶壁上に築かれた粟生氏の城館 今は耕作放棄地となった

2019-10-31 | 歴史

梅薮屋敷は愛知県岡崎市茅原沢町字新井にあります。
 14世紀初頭、秦梨郷へ入った粟生氏の勢力拡大に伴い、秦梨郷の南端部に梅藪屋敷が築かれました。往時は南に男川、西に乙川が流れ、付近に橋はなく現在南側を通る道もない、南の男川から立ち上がる断崖上に有ったと思われます。
 時は流れて、松平、今川、織田が侵入し粟生氏はこの地を離れ、梅藪屋敷もその役割を終えていったものと考えられます。


薮屋敷 往時は南の男川まで道路はなくて崖が迫っていた。両側の橋もなかった
 


梅薮屋敷の南下は個人宅なので、西側の茅原沢神明宮付近の駐車スペースに車を停めて登りました。


梅薮屋敷 上の段 今は田地、果樹園の跡地となり、草が繁茂している
 屋敷地は耕作地として最近まで、長期にわたって利用されてきたため遺構としてはほぼゼロでしたが地形としては中央部に段々の耕作地が5~6段見られ、その両サイドは一段下がって段々の耕作地となっていました。
 これから見ると、中央部が屋敷地だった名残を地形に留めているように見えました。


梅薮屋敷 中段 田地の跡地は耕作放棄地とみえ、雑草が生い茂る
 
中段も段々地形ですが、耕作地になったので、屋敷遺構は見当たりません。


梅薮屋敷 下段 田地だったようだが今は耕作放棄地となって雑草が生い茂る
 下段は、崖下からの農道と思しき細い道が付いていました。往時から有った道かもしれませんが、石垣を積んだり、農作業小屋が残っていたりしているので、判然としませんでした。この道には害獣対策のフェンスが設置されていて下まで降りることが出来ませんでした。


梅薮屋敷 石垣が見えるが、耕作地の構造物 季節が変わっても雑草は強い!
 夏場に訪れた時に、雑草がひどくて遺構がよく見えなかったので、冬場に再度訪れたが、あまり状況は変わらなかった。石垣は耕作地の構造物で、付近には近年まで使われていたと思われる農作業小屋もありました。


梅薮屋敷 上段の田地の畔に残欠石造物が祀られている
 夏場に訪れた時には見つけられなかった石造物を冬場に訪れた時には発見できました。
「岡崎市東部地域遺跡詳細分布調査報告書 2010 岡崎市教育委員会刊」によれば残欠宝篋印塔とされます。粟生氏の時代のものかどうかは分かりませんでした。

「岡崎市東部地域遺跡詳細分布調査報告書 2010 岡崎市教育委員会刊」は岡崎市の東部地区の城址を含めた多数の遺跡を再調査した結果をまとめた大著です。城址・屋敷地跡などでは、これまで言われていた地点と異なる場所が示されている例も多く有るので驚きます。新旧いずれも地形などでの「推定」の場合が多く発掘調査での確認が決め手となるようで、確定は今後の課題ということになるようです。
 梅薮屋敷は異同がありませんが、折を見て異同の事例を紹介していきたいと思います。


梅薮屋敷 男川に架かる橋からの遠景
 南下の道路を通るたびに、訪れたいと思っていましたが、やっと思いがかないました。

●南を流れる男川、西を流れる乙川 いずれも乙川と読みます、紛らわしいですね。河合郵便局付近で合流した両川は乙川となって流れ下り、岡崎城の南を流れる時には菅生川と言われ、大河・矢作川に流れ込みます。