谷出城は滋賀県甲賀市甲南町下馬杉にあります。城主、来歴は不詳のようですが南東1.3㎞に存在した馬杉氏の支配下にあったと考えられています。主要な街道とその分岐点を抑える役割だったのではないでしょうか。
同一尾根上には西出城があり、沢を挟んで小池城が築かれていますが、谷出城は土塁囲みの重厚な備えを持ち、3城の中央に位置していますので、下馬杉の中心的な存在の城郭だったのではないかと想像しました。
今回の参考資料は「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010 です。 ※西出城は→こちら 小池城は→こちら
谷出城 3城の見学は下馬杉集会所に駐車すると安心
山間部といえども、安心して駐車のできる場所が意外と見当たらない場合が多いので、出発前にGooglemapで調べ、多少歩いても安心できる駐車場所を事前にチェックする様にしています。
※下馬杉集会所の地図は→こちら
谷出城 城域には害獣フェンスが張り巡らされているので害獣ゲートの所在も要チェック
最近は多くの山城の城域に害獣フェンスが張り巡らされていますので、入口のゲートを探すのに時間がかかることがあります。西出城から谷出城は尾根続きですが害獣フェンスに遮られていましたので、南側から見学しました。沢を挟んだ対面には小池城がありました。
谷出城 Ⅰ郭(主郭)の土塁は後世の改変または崩落による変形か
往時のⅠ郭は四周を土塁が取り巻いていたのではないかと思いますが現在は南側に土塁は無く、東辺の土塁の高さは平場③と同じくらいの高さとなっていました。崩落又は土採り、耕作地化などにより土塁が失われたのではないか? と想像しましたがどうでしょう。
谷出城 Ⅰ郭南辺の崩落地形② 西から
Ⅰ郭南下は耕作地の平場となっていますので、崩落ではなくて耕作地造成でⅠ郭南辺を削り取った可能性がありそうでした。
谷出城 Ⅰ郭 東辺土塁①-2 西から
Ⅰ郭の曲輪面と東辺土塁は0.5m程の段差となっていました。平場③との段差はほぼありませんでした。この地形では土塁の意味がほとんどないので、往時は西辺土塁と同じ位の高さがあったものを、耕作地化や土採りで削り取ったのではないかと思いました。
谷出城 Ⅰ郭北辺の土塁①-1 納得の高さ ※人物との比較で高さが推測できる
Ⅰ郭の北辺土塁は最高所では3mを超す高いもので、甲賀の山城の土塁の高さとして納得のできるものでした。
谷出城 Ⅰ郭 西辺土塁 右に北辺土塁 東から
Ⅰ郭の西辺土塁は北辺に比べ少し低くなっていましたが、ほぼ原形を保っているように思いました。西辺土塁の南端は削り取られたようでした。
谷出城 堀切④ 西から 右上にⅠ郭の土塁①-1
Ⅰ郭の南、東、西は高い切岸と土塁に守られていたと思われますが北側は尾根続きなので、深い堀切と高い土塁で尾根を遮断していたようです。
谷出城 平場③ 左にⅠ郭 中央に堀切④ 右に平場⑥南端の切岸
戦後の空中写真を見ると平場③やⅠ郭は耕作地となっていた可能性がありそうでした。現地で聞き取り調査をすれば判明するかもしれませんね。
谷出城 平場⑦ 段差が設けられている 南から
平場⑥と平場⑦には段差がありました。往時の地形か後世のものかは判然としませんでしたが、後世の耕作地化によるものの可能性を感じました。
谷出城 腰曲輪⑨ 右手にⅡ郭北端の切岸 北西から
谷出城の北側は尾根が続いていました。この方面のⅡ郭の守りの要として腰曲輪⑨を削り出して切岸が造り出されているようでした。
谷出城 堀切⑩ 切通道にも見える
堀切⑩は帯曲輪⑨の北側に設けられ、北尾根を遮断していました。付近の状況から切通道のようにも見えましたが「堀切を利用した切通道」であろうと解釈しましたがどうでしょう。堀切⑩以北の尾根は自然地形のようでした。
谷出城 北西尾根の墓地跡 墓石はほとんど撤去され一部の石造物が残るのみ
Ⅱ郭と西出城の間の尾根には何段にもなった平場が在りました。平場には墓石や石造物などが一部残されていました。堀切⑩の切通道は墓参のための参道として利用されていた時期があったのかもしれませんね。墓地は谷出城の城域外だったと思いました。
谷出城は下馬杉3城の中核をなす城郭だったと考えられます。見どころの主郭土塁などに改変があったと思われますが、原形を想像しながらの見学が楽しめ良かったです。