城と歴史歩きを楽しむ

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第40回の城郭研究セミナーが開催されました。 通称:東海古城研究会 夏期セミナー

2019-08-29 | 歴史

さる8月24日(土)恒例の東海古城研究会の城郭研究セミナー(通称:夏期セミナー)が開催されました。
 毎年、山城を訪れるには厳しいこの時期に名古屋市内の会場で行われるのがこの城郭研究セミナーです。

一般公開されているので、会員さんだけでなく誰でも同一料金で参加できます。午前は当会の会員さんの研究発表が行われ、昼食を挟んで午後は、外部講師をお招きしての講演会が行われます。

今年の城郭研究セミナーは第40回ということで、会の歴史が来年には60年を迎える東海古城研究会の歴史の中でも重要な行事になっています。


会員の研究発表 「僧房から城の郭へ」と題して 会員の後藤 正さんが研究発表
 縄文時代からの巨石信仰が、途中仏教と出会い、埋没しそうになりながらも山岳信仰として仏教との融合を果たし寺院城郭を形成。それが武士の城として変化し、複雑な縄張りを生み、ついには近世城郭の石垣に鏡石として鎮座するまでを研究し、今回発表されました。
 城郭史を軍事面からのみ見て、近代合理主義によって理屈が通る解釈を加えることで満足する傾向に、一石を投じるという意気込みの研究発表でした。
 資料としてのレジュメとプロジェクターによる多数の写真と図、現地訪問の情報で詳しく研究成果を説明されました。


外部講師の講演 佐伯 哲也氏の「城郭構造から読み取る金森氏の飛騨統治」の講演
 佐伯 哲也氏は現在、北陸城郭研究会会長を務めるとともに富山の中世を語る会代表も努めておられます。
これまでの35年間で2000の縄張り図を描いてこられ、北陸と飛騨の城郭の縄張り図集を7巻発刊されています。
 僕も該当する地域の城郭見学では佐伯氏の縄張り図をバイブルとしています。

今回のテーマ「城郭構造から読み取る金森氏の飛騨統治」は天正13年(1538)豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨の三木氏を滅ぼし駐留軍として留まり、その一年後に秀吉から飛騨一国を拝領し統治していく過程を、飛騨に残る城郭遺構から読み取るという内容でした。

攻める金森長近軍、守る三木氏 最後の決戦は高山市の山城、広瀬城で行われ二週間で落城したと伝わります。佐伯氏は前後の関係を読み解くとわずか2~3日で決着を見たとされました。

広瀬城の縄張り図も佐伯氏が描いておられるので、城の構造、郭の役割など研究した結果、三木氏は金森郡が攻めてくる方向を予測して城の大規模な修築を行い、畝状竪堀と二重横堀など万全の体制で迎えうったとされました。
 それなのになぜ2~3日で落城してしまったのか・・・などの興味深いお話が聞けました。

高山市にある飛騨松倉城についても興味深い話が聞けました。松倉城は以前、当会の見学会でも訪れた城郭で、三木氏が築いた城と言われてきたようですが、佐伯氏の研究で金森氏の城または巨大な天主を持った豊臣政権の城だった可能性があるということで、天主の平面規模は秀吉の大阪城天主クラスの規模が有ったとのことで、とても驚きました。

高山城の話題では、城はほぼ総石垣の城だったが廃城に伴い石垣の石は売り払われ、現在残る石垣は全体のわずか0.5%しか残っていないそうですが0.5%の石垣と絵図を参考にして復元した石垣の図がレジュメで示されました。石垣の復元図によって本丸御殿の復元もされてプロジェクターで見せていただきました。天主は三階櫓の復元図で屋根は寒冷地なので瓦はなくて檜皮葺きだったという復元図でした。
 瓦が出土しないので質素な小屋のような建物しかなかったと一概に決めつけてはいけないと思いました。

お伝えしきれないほど内容豊富で、密度の濃い内容の研究発表と講演で大満足の今年の城郭研究セミナーでした。


城 記念乗車券、入場券    当日会場に展示されたホンの一部です
会場ではベテラン会員さんが40年以上かけて収集された「城の記念乗車券、入場券」の多数の展示がありました。見たことのない希少な記念乗車券、入場券ばかりで、こんなものが有ったんだと驚きの連続でした。