一旦は武田方に奪われた美濃岩村城であったが、長篠設楽原の戦いのあと信長の命を受けた織田信忠に包囲され、岩村城を守る武田方、秋山虎繁の降伏・開城を条件に城兵を助命する事になった。しかし約束は守られず信濃方面に落延びようとする城兵を、岩村城の南東1.5Kmの峠道で待ち伏せして、だまし討ちで皆殺しにしたという伝承の残る「木ノ実峠」。

旧々国道の脇に山道が残る 木ノ実峠
木ノ実峠を越える峠道は ①古い街道 ②最初に開削された峠道の旧々国道 ③次に新設された旧国道 ④木ノ実峠をトンネルで越える現在の国道 となっており、今回は峠越えの旧々国道と周辺の山道をたどってみた。
峠の最高部では②の旧々国道は原形を保っていて、脇に山道が残っていた。山道は戦国の道かどうかわからないが、このような道で峠を越したであろうことは想像できた。

今は使われなくなって荒れた旧々国道
大半は、物寂しさが漂う廃道の姿だった。

山道に残る切通し
山道には切通しが残っていた。一見すると尾根を断切る掘切のように見える。

美濃・上手向(かみとうげ)城の掘切
山城ではよく見かける掘切の例だが、同じような地形でも切通しの場合もある。山道との接続の状況等で判断するわけだが、掘切と切通しを兼ねた地形の場合も有るので、見学する際には注意が必要。
「木ノ実峠のだまし討ち」は、織田信長の残虐性を強調するための、よくある伝承ではないかとも思える話だが、伝承も大事にしたい。

旧々国道の脇に山道が残る 木ノ実峠
木ノ実峠を越える峠道は ①古い街道 ②最初に開削された峠道の旧々国道 ③次に新設された旧国道 ④木ノ実峠をトンネルで越える現在の国道 となっており、今回は峠越えの旧々国道と周辺の山道をたどってみた。
峠の最高部では②の旧々国道は原形を保っていて、脇に山道が残っていた。山道は戦国の道かどうかわからないが、このような道で峠を越したであろうことは想像できた。

今は使われなくなって荒れた旧々国道
大半は、物寂しさが漂う廃道の姿だった。

山道に残る切通し
山道には切通しが残っていた。一見すると尾根を断切る掘切のように見える。

美濃・上手向(かみとうげ)城の掘切
山城ではよく見かける掘切の例だが、同じような地形でも切通しの場合もある。山道との接続の状況等で判断するわけだが、掘切と切通しを兼ねた地形の場合も有るので、見学する際には注意が必要。
「木ノ実峠のだまし討ち」は、織田信長の残虐性を強調するための、よくある伝承ではないかとも思える話だが、伝承も大事にしたい。