1972年、俊輔は高校生になった。
そこでようやく、ホントにやりたかった部に入った。
それが柔道部。
姿三四郎から柔道一直線を経て、柔道というものに憧れがあった。
そうそう、鉄下駄なんぞも履いていたっけ。
そこで出会ったのがNだった。
どこか不良っぽい、俊輔がこれまで袖触れ合うことのなかったタイプの男。
こいつが、優等生を演じていた俊輔を少しく刺激した。
本来なら、親しくなることのない関係だったが、何故か一時期、行動を共にすることが時々あった。
一度「寄るか」と誘われ、彼の家にお邪魔したことがあった。
その部屋で真っ先に目についたのが、ソニーのテープデッキだ。
当時は、カセットテープが普及し始め、それに合わせるようにテープデッキもどんどんデビューし始めていた。
それは、もう死語に近いが、コンポーネントというシステムが主流になりつつあった中のパーツの一つ。
それまでは、セパレートステレオといって、チューナーとターンテーブルが一体化されたセンターと、左右にスピーカーが配された、所謂ステレオと呼ばれたものから、さらに細分化されて、アンプ、ターンテーブル、チューナー、デッキ、そしてスピーカーと、個別の装置を組み合わせるタイプが主流となりつつあった。
中でも、再生のみにとどまらず、録音の出来るテープデッキは画期的で、ちょっと音楽にこだわる高校生なら、無理してでも欲しがったものだ。
事実俊輔も、そのインジケーターの針の動きに魅了され、ましてや、その音質の良さに触れて、大きく影響を受け、その後同じものを入手した。
その時に聴かされたのが、サイモン&ガーファンクルのこの曲だった。
A HAZY SHADE OF WINTER - Simon & Garfunkel (1966) サイモンとガーファンクル「冬の散歩道」和訳
Nについては、いくつか目に焼き付いている光景がある。
一つは、武徳殿での昇級試験でのこと、椎間板ヘルニアでドクターストップがかかっていて、応援サイドに居た俊輔が見たそれは、実に愉快な取り組みだった。
はじめ、の声が掛かった直後、組み合った瞬間にNが相手の襟を立ったまま両手で締め上げた。
すると、暫くして相手がタップして降参を宣言。
あんな締め技あるか?
普通は奥襟とか、後方から裸締めとかで相手の首を締め上げるものだが、その時のNは、真正面に向かい合った相手の前襟を両手で絞り込むという、なんとも常識はずれな締め方だった。
当然俊輔は普段の稽古としての乱取りで幾度となく対戦していたが、寝技になると大抵が押さえ込んでいたから、予想外の勝ち方に驚いたものだ。
二つは、当時、元塚にあったジーンズショップにいた俊輔が目にしたNの派手な登場シーン。
そいつは、まだ二車線しかなかった堺筋を、ホンダダックスに大股を広げて跨り、南からまっつぐ、ベージュのイタリアンスリーピースを纏って現れた。
あれは、間違いなくショーケンをイメージしてたな。
それがまた、結構決まってるからやになった。
三つは、俊輔のガールフレンドに言い寄った男としての登場。
彼女から相談を受けて、俊輔は、自宅を訪ね、外へ呼び出してこう言った。
「好きになるのは止めようがないけど、いい加減なことしたら許さん」
それから一切そういうことはなくなったらしい。
そして、その後20数年、もう親しくつきあうことはなくなっていたが、親の家業を継いだNは、足場を組むM組の頭として活躍していると聞いた。
なんだかあいつらしいと、ただ、言動が最近少し異様だというハナシも入ってきていた。
そらからまた数年後、薬物中毒で廃人同様になっていると。
これらは全て風の便りであって、裏を取れてはいない。
なので、なんとも言い難いが、失礼ながら、あいつらしいと思ったりもして。
なんだかんだ言って俊輔は、あの型破りなアイツが好きだったんだ、んじゃないか?
そんな気もしていたりして。
これらは、たまたま流れたサイモン&ガーファンクルの曲が俊輔にもたらした、懐かしい友人の記憶ではある・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます