大学時代に好きでよく聴いて、CDでもまた買ったアルバムっつうのが何枚かあって、
この歌はそんなアルバムの中の一曲。
四畳半のアパートで、窓辺に座ってよく聴いたなぁ・・・
さんま焼けたか / 斉藤哲夫
この新聞記事を読んでふと思った。
確かに、amazon等、現在先行する電子書籍の売り手は、他人の褌で相撲をとるがごとく、
出来上がったものをどうやって売るか、という物販業者の感覚だろう。
方や、古くから出版を生業(なりわい)としてきた業者は、作家という作り手の育成や、
文化の担い手としても重要な役割を果たしてきた。
そして、今後この二つの業者の線引きが難しくなってゆく。
すなわち、今は単なる電子書籍という物販の売り手でも、これからは作り手のサイドに立って
盛り上げていくことも出来るのと同じように、出版業者自体が電子書籍を販売することだって
可能な訳だ。
では、その経済活動から一歩引いて、図書館の役割って何だろう?
「文化の機会均等」
一言で言えば、私はそんな風に感じている。
赤貧洗うがごとしの生活を余儀なくされている人でも、取り敢えず読書は出来る
という有り難い施設、それが図書館の役割なのではないだろうか?
そこで、である。
その営利を目的としない図書館が電子書籍を扱ったらどうなるのか?
そうした素朴な疑問が湧いてきた。
仮に、端末は自前のを使える環境下にある人のバヤイ、返却期限は必要なくなるのでは?
となると、そいつは簡単に一人歩きする可能性だってある訳で、そうなると、
著作権侵害の大きな弊害が予想される。
てことは、期限付きで自己消滅する仕組みにするのだろうか?
アナログ本と同じように、複数冊蔵書するバヤイは、その数だけ買うよね。
で、貸し出したら、期限が来るまで存在しなくなる?
そうか、コピー出来無くすればいいのか。
頭では解っても、具体像がどうにも・・・
そも、そうなれば、全てはネット上で完結する仕組みも簡単に構築出来るだろう。
そうした仕組みが、見えるようで見えてこない。
やっぱ、電子書籍といえど、端末の貸し出しをベースにすれば、コピーの弊害はなくなるか。
しかし、一つの端末に何冊だって格納出来るぞ。
その冊数に限りを設けるのか?
となると、電子書籍のうま味がほとんどなくなるぞ・・・
んんんん~~~
オヤジの拙い頭では上手いこと青写真がひけんぞ。
電子書籍における、営利目的の業者と、福祉を第一義とする図書館。
この相関関係は、今後どう展開してゆくのだろう?
これが、けふの私の素朴な疑問なのだ・・・