唐突ではありますが、山芋が鰻になるという件についてです。
長いわりに実りのない雑文ですが……。
ウナギは古くから世界中で食用にされてきた身近な魚です。しかしその生殖については謎だったので、様々な憶説が流布していました。
例えばアイザック・ウォルトンの「釣魚大全」は、鰻は腐敗物から生ずる、露が日光に照らされて鰻になる、などの説を挙げています。
日本ではもっぱらヤマイモ(自然薯)が鰻に変ずるとされていました。
歳時記には、
腐草変じて蛍となる
雀大水に入て蛤となる
田鼠化して鶉となる
といった類の季語があります。しかし「山芋変じて鰻となる」という季語はありません。そもそも江戸時代には鰻は季語ではありませんでした。
いっぽうヤマイモの方は季語でした。現在でももちろん季語(秋)です。
江戸末期の歳時記である「増補俳諧歳時記栞草」(嘉永4年・1851)を見てみると、「救荒本草」を引用する形でこう述べています。
薯蕷(やまのいも)、渓の辺に端を出し、時々風水に感じて鰻に変ず。半ば変ずるものをみる人、往々あり。
しかし、国立国会図書館デジタルライブラリで「救荒本草」を見ると、このような記述はありません。どうも「栞草」にある引用や出典の表記はルーズなようです。
「和漢三才図会」を調べてみると、巻第五十「河湖無鱗魚」にある「鰻」の項に、山芋が鰻に変ずる話がありました。
しかしこれが漢文で書かれており、浅学の身にはつらい。我流で書き下してみます。なお文中の「鱧」はここではハモではなく、「レイ」と読んでヤツメウナギを指します。
(うなぎの幼魚が成長して川上に行き)
然るに影を鱧魚に漫して子を生むの説未だ審らかならず。鱧無きの処に亦多く之有り。
又薯蕷久しく濕浸せられて変じて鰻と化するもの有り。非情より有情と成るもの是れも又必ずしも盡く然らざるなり。
鰻の繁殖に関する二つの説が紹介されています。
第一の説は、ヤツメウナギをレイプして子どもを産ませるのだと言っているようです(!?)。でもヤツメウナギのいない川にも鰻がいるから、これだけでは説明が付かない。
第二の説は、山芋が濡れて鰻になるというのでしょう。でも植物が動物になるというのは、うーん。
三才図会の著者は両説を頭から否定しはしないが、それだけでは納得出来ないと言っているようです。科学的態度と言って良いのではないでしょうか。
しばらく山芋が鰻に変ずる話を拾ってみましょう。
類書「塵袋」
蛇のうなぎになるとも、やまのいものうなぎになるとも云ふ事あり。物の変化は無定にや。
狂言「成上り」
いやいやこれは真実なると申しまする。そのなり様は四五月のころ、雨の長う降り続いて、えて山の崩るるものでござるが、その崩れたる間より山の芋がちよつと現れ、下の谷へこけ落ち、これが鰻になると申してござる。
随筆「東遊記」橘南谿
また近江の人の語りしは、長浜にて山の芋を掘来たり料理しけるに、中に釣針のありしことあり。其掘りし所むかしは湖水の傍なりし所といへば、此薯蕷はうなぎの変じたる事疑ひなしといへり。其物語りし人も貞実の人なりしが、いかゞありしや。
俳文「百魚譜」横井也有
狭夜姫は石となり山のいもは鰻となる。かれは有情の非情となり、これは非情の有情となれり。石となりて世に益なく、鰻となりて調法多し。
談義本「風流志道軒伝」
我が身も薯蕷が鰻になるやうに、尻の方から二三寸程も、出来合の聖人に成りかかりたれば。
川柳「柳多留」明和2年
山のいもうなぎに化る法事をし
狂歌 四方赤良
あな鰻いづくの山のいもとせを裂かれてのちに身を焦がすとは
さすがに也有と赤良(大田南畝)はうまいなあ。
江戸時代の人々だってこんな俗説を真面目に信じていたわけではないと思います。むしろ面白がっていたのではないでしょうか。
鰻になりかけの山芋を見た、という話の伝聞記録は多くあるようです。でもそれはUFO目撃談みたいなもので、「山芋が鰻になる」という話があるから目撃されるのであって、その逆ではないでしょう。
自然薯を暴れぬように藁苞のなか 杉本雷造
これは現代の作ですが、「鰻に変じて暴れたら……」の意でしょうね。
根拠の無い話ですが、私は寺方の精進料理が始まりなのではないかと想像していました。豆腐から雁擬を作ったように、自然薯で蒲焼擬を作って「薯が鰻に化けたのさ」と洒落たのではないか。もしかしたら逆に、僧が鰻を食べながら「これは薯だ」と言い張ったのかも知れません。
話はいよいよ本題からそれて行くのですが、この図版は朋誠堂喜三次作・恋川春町画の黄表紙「親敵討腹鞁(おやのかたきうてやはらつゞみ)」の挿画です。半世紀前、高校生だった私に黄表紙の面白さを教えてくれたのはこの作でした。(ちょっとイヤな高校生だったか)。
かちかち山では兎が悪い狸を成敗したのですが、これはその後日談です。親を殺された狸の子が兎を付け狙い、ついに仇を討ちます。ウサギは真っ二つに斬られ、なんとウとサギに分かれて飛び立ちます。この挿絵は、その鵜と鷺が捕ってきた鰻を吐き出して、世話になった鰻屋に恩返しをしているところです。
昔はああだったのに今はこうなってしまった、という話は年寄り臭くて大嫌いです。でも私も年寄りになりました。
昔は置き針で鰻を狙う人がいて、岸辺の木に凧糸が結びつけられていたりしたものです。今は千曲川で鰻釣りをしている人は、……私は見ません。鰻が減っているのでしょう。
それとともに思うのは、魚を食べることを目的として釣りをする人が、特に淡水では激減していることです。釣りのレジャー化、釣りのスポーツ化、釣りのファッション化、釣りの情報化。
かく言う私も、釣った魚をどうこうしようという興味は少ないです。岩魚が釣れたら焼いて食うぐらい。でも釣りはやめられません。面白いもの。
もし鰻になりかけの山芋が釣れたらすぐに写真をお見せしますから、日々のチェックを怠らないで下さい。
長いわりに実りのない雑文ですが……。
ウナギは古くから世界中で食用にされてきた身近な魚です。しかしその生殖については謎だったので、様々な憶説が流布していました。
例えばアイザック・ウォルトンの「釣魚大全」は、鰻は腐敗物から生ずる、露が日光に照らされて鰻になる、などの説を挙げています。
日本ではもっぱらヤマイモ(自然薯)が鰻に変ずるとされていました。
歳時記には、
腐草変じて蛍となる
雀大水に入て蛤となる
田鼠化して鶉となる
といった類の季語があります。しかし「山芋変じて鰻となる」という季語はありません。そもそも江戸時代には鰻は季語ではありませんでした。
いっぽうヤマイモの方は季語でした。現在でももちろん季語(秋)です。
江戸末期の歳時記である「増補俳諧歳時記栞草」(嘉永4年・1851)を見てみると、「救荒本草」を引用する形でこう述べています。
薯蕷(やまのいも)、渓の辺に端を出し、時々風水に感じて鰻に変ず。半ば変ずるものをみる人、往々あり。
しかし、国立国会図書館デジタルライブラリで「救荒本草」を見ると、このような記述はありません。どうも「栞草」にある引用や出典の表記はルーズなようです。
「和漢三才図会」を調べてみると、巻第五十「河湖無鱗魚」にある「鰻」の項に、山芋が鰻に変ずる話がありました。
しかしこれが漢文で書かれており、浅学の身にはつらい。我流で書き下してみます。なお文中の「鱧」はここではハモではなく、「レイ」と読んでヤツメウナギを指します。
(うなぎの幼魚が成長して川上に行き)
然るに影を鱧魚に漫して子を生むの説未だ審らかならず。鱧無きの処に亦多く之有り。
又薯蕷久しく濕浸せられて変じて鰻と化するもの有り。非情より有情と成るもの是れも又必ずしも盡く然らざるなり。
鰻の繁殖に関する二つの説が紹介されています。
第一の説は、ヤツメウナギをレイプして子どもを産ませるのだと言っているようです(!?)。でもヤツメウナギのいない川にも鰻がいるから、これだけでは説明が付かない。
第二の説は、山芋が濡れて鰻になるというのでしょう。でも植物が動物になるというのは、うーん。
三才図会の著者は両説を頭から否定しはしないが、それだけでは納得出来ないと言っているようです。科学的態度と言って良いのではないでしょうか。
しばらく山芋が鰻に変ずる話を拾ってみましょう。
類書「塵袋」
蛇のうなぎになるとも、やまのいものうなぎになるとも云ふ事あり。物の変化は無定にや。
狂言「成上り」
いやいやこれは真実なると申しまする。そのなり様は四五月のころ、雨の長う降り続いて、えて山の崩るるものでござるが、その崩れたる間より山の芋がちよつと現れ、下の谷へこけ落ち、これが鰻になると申してござる。
随筆「東遊記」橘南谿
また近江の人の語りしは、長浜にて山の芋を掘来たり料理しけるに、中に釣針のありしことあり。其掘りし所むかしは湖水の傍なりし所といへば、此薯蕷はうなぎの変じたる事疑ひなしといへり。其物語りし人も貞実の人なりしが、いかゞありしや。
俳文「百魚譜」横井也有
狭夜姫は石となり山のいもは鰻となる。かれは有情の非情となり、これは非情の有情となれり。石となりて世に益なく、鰻となりて調法多し。
談義本「風流志道軒伝」
我が身も薯蕷が鰻になるやうに、尻の方から二三寸程も、出来合の聖人に成りかかりたれば。
川柳「柳多留」明和2年
山のいもうなぎに化る法事をし
狂歌 四方赤良
あな鰻いづくの山のいもとせを裂かれてのちに身を焦がすとは
さすがに也有と赤良(大田南畝)はうまいなあ。
江戸時代の人々だってこんな俗説を真面目に信じていたわけではないと思います。むしろ面白がっていたのではないでしょうか。
鰻になりかけの山芋を見た、という話の伝聞記録は多くあるようです。でもそれはUFO目撃談みたいなもので、「山芋が鰻になる」という話があるから目撃されるのであって、その逆ではないでしょう。
自然薯を暴れぬように藁苞のなか 杉本雷造
これは現代の作ですが、「鰻に変じて暴れたら……」の意でしょうね。
根拠の無い話ですが、私は寺方の精進料理が始まりなのではないかと想像していました。豆腐から雁擬を作ったように、自然薯で蒲焼擬を作って「薯が鰻に化けたのさ」と洒落たのではないか。もしかしたら逆に、僧が鰻を食べながら「これは薯だ」と言い張ったのかも知れません。
話はいよいよ本題からそれて行くのですが、この図版は朋誠堂喜三次作・恋川春町画の黄表紙「親敵討腹鞁(おやのかたきうてやはらつゞみ)」の挿画です。半世紀前、高校生だった私に黄表紙の面白さを教えてくれたのはこの作でした。(ちょっとイヤな高校生だったか)。
かちかち山では兎が悪い狸を成敗したのですが、これはその後日談です。親を殺された狸の子が兎を付け狙い、ついに仇を討ちます。ウサギは真っ二つに斬られ、なんとウとサギに分かれて飛び立ちます。この挿絵は、その鵜と鷺が捕ってきた鰻を吐き出して、世話になった鰻屋に恩返しをしているところです。
昔はああだったのに今はこうなってしまった、という話は年寄り臭くて大嫌いです。でも私も年寄りになりました。
昔は置き針で鰻を狙う人がいて、岸辺の木に凧糸が結びつけられていたりしたものです。今は千曲川で鰻釣りをしている人は、……私は見ません。鰻が減っているのでしょう。
それとともに思うのは、魚を食べることを目的として釣りをする人が、特に淡水では激減していることです。釣りのレジャー化、釣りのスポーツ化、釣りのファッション化、釣りの情報化。
かく言う私も、釣った魚をどうこうしようという興味は少ないです。岩魚が釣れたら焼いて食うぐらい。でも釣りはやめられません。面白いもの。
もし鰻になりかけの山芋が釣れたらすぐに写真をお見せしますから、日々のチェックを怠らないで下さい。
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