春宮のひとり言

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春宮のひとり言 795

2023-04-22 22:50:01 | 日記
今日は、中谷比佐子先生の『つれづれ』の会でした。中谷先生は、着物エッセイストですが、『色』のお話も、伺っております。飛鳥時代の色、冠位十二階による色、陰陽五行の普及による色の話でした。今年はじめの『つれづれ』の会の時に、出席者各々がイメージする日本の各時代の色を、先生ご持参の色紙で、貼り絵をしました。毎回、先生のお話を伺った後で、時代の色のイメージが変化したか…と、貼り絵をします。どうして、その色にイメージが変化したか…と、皆、話すのですが、春宮は、『色』には、こだわりがある方ですので、はじめにイメージした色から変化しません。そういう人は、春宮一人です。
春宮は、着物の色には、特に、こだわりがありますので、揺るぎがないようです。春宮は、自分の色彩感覚を必要とする事に手を出していました。はじめは、趣味のつもりでした。春宮の実家には、戦前の着物や帯がありました。亡母が、二十歳に近くなる頃から、家にある着物や帯を出して、着せてくれました。巷では、『やまと』とかいう呉服会社の出す暗い色合いの着物が流行っていました。汚らしい…と思っていましたので、母が着せてくれる昔の着物の方が好きで、嬉しかったのです。春宮の色に対するこだわりは、このあたりからはじまったのかもしれません。人からどのように思われていたかわかりませんが…。
昔の着物や帯には、手のこんだ日本刺繍が施されていました。好んで着れば、日本刺繍の金糸をとめている糸が弱っていますから、金糸が外れます。母は、何回か修理に出してくれましたが、帯の金糸が、2~3㌢はずれただけで、名古屋帯が買えるくらい費用がかかったようです。「昔の物が着たければ、和裁か日本刺繍を習って頂戴!」と言われてしまいました。その当時は、まだ和裁の方は巷に沢山いらしたので、日本刺繍を習おうか…と、日本刺繍を紅会という所で習う事に致しました。紅会に通いはじめて、何か春宮の抱いている日本刺繍の色と違う…と思いました。それに、日本刺繍を習いに行っているのに、午前中の座学、宇宙とか訳のわからない話をされて、戸惑いました。午後から実技ですが、後から考えると、きちんとした布地の刺繍台への張り方・針の持ち方・刺繍糸の微妙な指使い等、肝心な基本を教わらず、自己流でしていました。教材のみ先の先まで、注文させられ、違和感が募りました(今、どういう方式かは、わかりませんが…)。1年後には、他の刺繍教室を探していました。何方も、教材ありき…その方が、教える側は、楽なのでしょう。日本刺繍を教えて下さる師を必死で探しました。
中谷先生の会の帰りの電車の中で、ブログを書いています。前の電車内で、乗客のモバイルバッテリーが発煙したとかで、電車が止まってしまいました。JRにしては、以外に早く、電車停車の案内が流れました。この頃の物騒な事件が多いからでしょうか…。動きだしたら、電車のスピードがいつもより早いです。尼崎の様な事は、嫌…と思ううちに、降車駅に着きました。市会議員選挙アピール最終日で、タクシーが駅に入って来ないくらい何人もの立候補者がスピーカーで五月蠅いこと…名前しか連呼しません😖やっと20時になって、アピール終了、タクシーがロータリーに入って来るようになり、長蛇の列が減り、春宮も、タクシーに乗車、帰宅出来ました。疲れました😔