聖書のことばから  デボーション

聖書のことばから気づかされたことをつづっています。

「どこにいるのか」神の人への呼びかけ 創世記3章より

2025-02-13 14:48:05 | 日記

 〇2月13日(木) 創世記3章 (益子教会 毎週木曜10時半「聖書に親しむ会」の概要を掲載しています)

 この章では、エデンの園にいたアダムと女が、神様とのたった一つの約束(「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」17節)を破ることにより、創造主である神から離れ、神との関係が断絶してしまったという悲しいストーリーが記されています。女を誘惑した蛇とは誰か。「さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。」と文字通り生き物なのか。それとも、黙示録20章1-2節「ひとりの御使…は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへび」と記される元御使い(天使)で神様に反逆した悪魔のことなのでしょうか。聖書の中で悪魔は時折登場しますが、悪魔は人間を神様から遠ざけ、糾弾し、嘘をつき、誘惑し、最終的には滅ぼそうとする存在です。無垢な女に、蛇は巧妙に偽情報を与え、自らの意思で神との約束を破るようそそのかし、女は魅力的な善悪の木の実を食べ、アダムも妻から与えられ、何の反論もなく食べた。蛇が誰であれ、蛇が誘惑したとしても、やはり、人がその情報により自分で判断し、神のようになりたいという欲望に抗うことができなかったことは確かであります。人の罪とは、神から離れ、神を否定する(信じない)ことです。その結果、体はすぐさま死にませんでしたが、神様と何の妨げもなく交流できていた霊的な状態が死んでしまいました。神様との関係の破綻は即座に人間同士の関係に影響し、二人は互いが裸であることを恥と思うようになり、また責任転嫁(神様のせいだ、女のせいだ、蛇のせいだ)が始まりました。言い訳をし、人のせいにすると素直に謝れなくなります。そして、神様の足音を聞いて、「怖くて」隠れます。

「あなたはどこにいるのか」神様はどんな思いで、人に呼びかけられたのでしょうか。あなたの居場所から、どこへ行こうとするのか?との心痛に満ちた響きを感じ取れます。あたかも新約聖書でイエス様が話された放蕩息子の譬えの中で、家を出て行った息子が帰って来るのを「どこにいるのか!帰っておいで!」と待ちわびている父親のようです。本来の人の居場所は、100%信頼しきって委ねている状態の安心した神との関係のあるところです。神様は、全ての人にこの呼びかけを投げかけ、ここへ戻っておいでと、何千年も待っておられるかのようです。

また、この章でもすでに神様の人への救済の計画を指し示すことばが、女の子孫と蛇の子孫(種)の間に敵意をおく(15節)と言われる中に示されていることに、希望の光が見えます。その女の子孫から救い主として御子イエス・キリストがお生まれになることを示すとされます。キリストの贖いにより、人の罪が赦され、神と人との関係が修復され、人が最終的にイエス・キリストのような似姿になるような新しい創造を神様は考えておられます。永遠の命は、ケルビムと火の剣に守られている命の木から人間が取って得られるのではなく、イエス・キリストの救いの業により与えられるという福音とへと、3章の最後はつながることから、ここにも神様の憐み深さ、慈愛、恵み深さが示されています。


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