初心に返る。
その「初心」ていつかなーって考えると良く分からなくなる。
音楽ふれたのは多分3歳とかその位だと思うし(レコードで幼少からクラシックを中心に聞かされてたらしい)、ギターに初めて触れたのは中学時代。でもそれを自分のライフワークにしようと思ったのは高校時代にシンセ(ちなみにYAMAHAのSY77)で打ち込みをし始めた時。そうなると音楽の「初心」はどこに設定すべきかがわからない。
ただ思い出せるそれらのタイミングに共通しているのは「感動した」という事。
何だかわからないけど突き動かされる体験がそこにはあったんだね。
という事はだな、初心というのは常に更新されるという事なのかもしれない。
一つの目標を立てたその時が初心である。
そうなると今やっている活動、とりわけまちづくりに関しては、実はこう言えるんだ。
「駅前広場でライブやりたい」
これをとある人に話したところ「子供じみている」と批判的に言われたが、僕にとっての「まち」との再会を語る時に、その最初の感覚は外せない。
ライブやりたい、から派生して、僕は自分がそれまで関わってきた音楽の素晴らしさを伝承していくようなイベントをやりたいに変化してきたし、その為に必要な事としてみんなが使えないと思っていた駅前広場を使えるようにする必要があったんだ。
だからその為の仕事をした。
それだけなんだ。
じゃあ僕の思いを達成するには?
やはり駅前広場で僕が出演するイベントをやる。それに尽きる。
子供じみているかもしれないけど、それの何が悪いと言いたい。
そもそもこの世界が閉塞感に満ち溢れているのは、夢を描くのが許可制になっているかのような息苦しさだ。
大人とか子供とか関係なく、イメージの世界で自由になれなくて、どうやって良い世の中に出来るだろうか。
「子供じみた」といわれるような自由な発想を臆することなく話せる場所が、今の世の中もっと必要だ。
誰かの熱い思いを挫かず応援出来る事。それが大人の振る舞いだ。
大人になるとやってはいけない事が増えるわけではない。お金も行動力も子供の時分より明らかにある。
増えるのは自主規制だ。
空気という訳の分からない物に支配された自主規制だ。
だから思い出してほしい。
あの日、思わず瞬きする事を忘れてしまった衝撃を。
あの日、余りの素晴らしさにその場に立ち尽くしてしまった場所を。
そういう点がきっと誰にでもあるんだ。
それが、「初心」だと、今は思う。
飲みながら書いている故、、明朝の僕がどのように思うかが見ものだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます