今日も明日も愛してる

私が見たものをあなたにも見せたい。月日が経って季節が変わっても、これは世界へのラブレター。

全件削除

2009年12月16日 | ボソッと
携帯電話の送信メールも受信メールも全部を削除した。
「フォルダーは空です」
もう見られないと思うと寂しくて心細い。心細くて少し後悔。
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2009年12月16日 | Weblog
雨でもお昼休みは外に行きたい。
ただ歩くだけ。
傘の中から街を見ると綺麗。



これは2008年6月3日、まだブログを始めて間もない頃一度載せて数時間後にボツにした記事。
このときは雨の中でケータイで写真を撮った。
全然成長していない。。。
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ピンクの国へ

2009年12月16日 | Weblog



ピンクの国では快晴のようだ。





懐が温かいともっと快晴だ。
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銀座はチェーンの向こう側

2009年12月16日 | Weblog


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『ノーライフキング』 いとうせいこう 80年代に子どもだった人は今何を思う

2009年12月16日 | 観たり、聴いたり、読んだり
80年代の後半、テレビではいわゆるアイドルが大勢生まれ可憐な姿で歌っていた。
子どもたちの間ではまだファミコンの全盛期。

子どもの教育にとって、仮想現実の遊びは目の敵にされ、
ウワサや呪いや魔法といった子どもじみた事は排除すべしとされていた。



「ライフキングの伝説」というあるゲームソフトにまつわる悲惨なウワサからこの物語は始まる。
悲惨ゆえに子どもたちは夢中になり、その謎に挑む。

主人公はキャリアのある母とマンションで二人暮らしの少年。
全国チェーンの進学塾に通い、毎日さまざまな出来事の中で
ゲームを最後までやり遂げる事で、ぼんやりとした未来の不安を晴らせると信じている。
やがて不安は、この世(おとな)をも覆いつくすものだと気がついているから、
彼と友人たちは水面下で必死でゲームを終わらせようとする。

子どもたちは次第に現実に敗退していくが、子どもの中でもキングがちゃんといる。
全国模試でトップクラスの顔も知らない仲間や、友人の弟である天才的ゲーマー。
ゲームを終わらせる事なく解決に導こうとする、彼らの健気さ。




なぜこの本を今思い出したかと言えば、今の自分を重ねているからだと思う。
物語の最後に子どもたちは、自分のデータを賢者の石(ディスク)に保存して封じ込める。
自分のデータ、自分のデータ、って何だろう。
私のデータってなんだろう。
つまり私はウェブ上で自分の「ライフキングの伝説」をやっているわけだ。

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