筑後川の日本人。

明日の日本が、より良い国家になる為に。

西部遭氏、入水氏は予告通り、遺言通りに冥界へ旅立った

2018-01-22 15:44:24 | 初心者のブログ作成

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成30年(2018)1月22日(月曜日)
               通巻第5587号  
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西部遭氏、入水
 氏は予告通り、遺言通りに冥界へ旅立った
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 予期はしていた。なにしろ遺作のなかで、自死について自ら語っているからである。
 弔辞の替わりに以下、拙文(小誌に書いた書評)を再録して、追想に替えたい。(1)に関しては、1月7日付けで、直後に西部氏から私信をいただいているが、プライベートなことなので公開しない。

(1)
たしかに現代日本は価値紊乱、絶望へ向かって暴走している
  希望がない日本にスマホというバカ製造機がはびこっている

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西部遭『保守の真髄  ——老酔狂で語る文明の紊乱』(講談社現代新書)
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 この本の帯に「大思想家ニシベ、最期の書」とあるのは意味深長にして、文明を揶揄しつつ自己をオブラートに包みこんで語る、自伝風の遺書なのか、これはうっかり書評しかねると思ったのは師走のことだった。
初読だけで、軽率に本書を論ずるには、おろそかにできない風刺が、あるいは隠れた警句があまりにも多すぎる上に、現代日本への絶望が随所に、その行間からもあふれ出している。西部氏がいつも常用するオルテガは一ケ所だけで、今度はシュペングラーやニーチェの登場箇所が多い。
やはり、うっかり書評をできないと二度思った。
 そこで時間をおいて読み返して、あらためて書評に挑んだが、何かためらいがあるのだ。
これは遺書にするつもりなのか、それとも西部氏のことだから、別の企てを描いて遺書に仮託した文明批評なのか、躊躇がつづくばかりなのである。
 かくして評者(宮崎)、この書全体に流れる、氏のただならぬ絶望感を論ずる試みをやめた。それは読者各自の判断にお任せした方がよいだろう。

 そこで、いくつかの箴言的表現を、これもまた氏の遺書的警告の一部分でしかないのだが、本書の肯綮とみて差し支えない部分を下記に列挙して、評に代えることにする次第である。
 西部氏曰く。
 「テクノロジーという一方向にのみ特化していくのは文明の病理以外の何ものでもない。
かつてシュペングラーは、文明の秋期から冬期にかけて、『新興宗教への異様な関心と新技術への異常な興味が高まる』と指摘した。
今、世界のとくに先進各国にみられるのは、新技術が新宗教となって人々の精神世界を占拠しているという状態ではないのか。
(中略)『文化の乏しい文明』への自己懐疑を持たぬばかりか自己満悦に浸っているという点で最も目立っているのは、我が日本列島である」(20p)

 敗戦ショックから太平洋戦争史観にどっぷり汚染された日本人がおびただしく出たが、この知的貧困に関しても、西部氏いわく。
「国家としての自立自尊をみずから投げ捨てたのである。まさしくアンダードッグ(負け犬根性)にふさわしく『安全と生存』が戦後日本人の生き方になってしまったのだ。まさに戦後にあって、日本文化の歴史を(和辻哲郎がかつてやったように)『風土論』によって説明したり(梅棹忠夫が強調したように)『動植物の生態史観』になぞらえて解釈するのは、大いにわかいやすいとはいえ、日本人の精神の在り方に突き刺さってくるところが少なすぎる」(74p)

 「文明を進歩させたとして賛美されてきたアメリカの独立革命、フランス革命、明治維新、辛亥革命、ロシア革命などのすべてが、そのときの法秩序からみると、『不法の暴力』を伴ったという意味でテロルだったのである。
それらの革命にいささかの疑義も呈してこなかったくせに、それどころかそれらの『革命』とやらを文明進歩の印と見立ててきたというのに、テロル一般を悪と断じるのは明らかに二枚舌だ」(212p)

 いやはや引用したい個所はまだまだ山とあるが、こういう絶望を西部氏は遺書に仮託して絶筆を宣言されている。 

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(2)
戦後日本の平和の洪水のなかに自死の思想は霞んでしまった
「妻と僕」との思想闘争記から人生への姿勢を問い直した哲学的な回想

西部邁著 『妻と僕 寓話と化す我らの死』(飛鳥新社)

 重症のガンに侵された西部氏夫人は余命幾ばくもない、と衝撃を率直に書き出される。
 二人で歩んだ半世紀近い人生を西部さんは淡々と振り返りながら、この書は不思議な澄明さと静けさで全体が貫かれている。
 看病を続けながら人生を夫婦を愛情を孤独を名誉を哲学し、思想家・西部遭の饒舌的思索は片時もやまない。
 夫に先立たれた妻の回想録はこの世にあまたあって涙を誘う。石原裕次郎夫人、吉行淳之介「夫人」などなど。いかに愛されて幸福だったか。最後まで渾身の看病をして悲しみにひるまずに看取ったか。出色の例外は金美齢さんの夫(周英明)との台湾独立闘争記録。
 妻に先立たれた夫のほうの回想録は少ないが、それでも江藤淳、城山三郎、田原総一郎らが書いた。いずれも率直に言って女々しくもあり、愛情物語の域を出ない。
 だが、まだ妻に先立たれないうちに、死を思想的論争に位置づけて、夫婦の像をえがくのは西部氏がはじめてではないのか。
「身体の命運がぎりぎりまでくると、生き延び方といい死に方といい、自分で選び取るほかありません。人生は一回で、また人生は死の瞬間まで、つまるところは自分のものだからです。(抗ガン剤治療を忌避したのは)危機にあって心身を支えてくれるのは、根本主義だ、つまり自分の考え方の原則をつらぬくことだ、というのがM(妻のこと、作中ではMで登場)と僕との共通意見」だった。
 そして夫婦に関してこんな風に西部さんは考える。
「男女関係は、なんと脆い基盤の上に、なんと儚い動機に基づいて、なんと粘り強い努力で作り上げられていく、なんと堅牢な構築物であることか、夫婦とはなんとみごとな砂上楼閣なのか、と笑い出したくなる」。
 わたしが初めて西部遭氏と会ったのは二十年近く前だった。中川八洋氏が主宰する勉強会に西部氏が講師としてあらわれ、難しい講話が終わってから六本木のビアホールでビールを相当量飲んだ。中川氏はソフトドリンクを飲んでいた。
 何を話したかは綺麗さっぱり忘れている。
 それから「ラジオ日本」の南丘喜八郎氏が共通する番組を持っていて、その関わりで時折、飲み会があった。佐藤欣子さんらもメンバーだった。幼年時代の貧困について議論した。わたしが「吉野作造賞受賞にろくな作品はない」と酔った勢いで言うと、西部さんが「僕も受賞者だけど。。。」ときには『宝石』に氏が連載していた頃の編集担当の神戸さんが小生の担当でもあり、新宿へ一緒に出かけてカラオケに興じたり、もちろん『発言者』の創刊パーティには招かれ参じており、しばらく雑誌を購読していた。「宮崎さん、なにか書いて下さい」が口癖だった。
 三島研究会の公開講座にも講師としてきて頂いた。その記録を調べると平成八年五月のことで、演題は「三島由紀夫の思想的可能性」。この頃の西部さんの三島評価は低かった。ということは自死に否定的ではなかったか。そのあと十五人ほど連れだって、六本木の中国飯店に行っておおいに騒いだ。
 途中、七年ほどブランクがあった。
 なぜなら、たとえば教科書をつくる会、救う会、靖国、台湾問題そのほか、多くの保守陣営の会合やパーティ、シンポジウムでまったく氏を見かけなくなったのである。
 『発言者』の議論が難しくてついて行けなくなったこともあるが、氏の議論が浮世離れしていて、当時わたしの追求していた分野から離れつつあったという個人的理由もあった。
 というわけで数年の不通期間があったが、ある冬の日、『表現者』の座談会に呼ばれた。
 テーマは中国で、富岡幸一郎氏らも加わって久闊をあたためた。
レトリックの魔術師と喧嘩師が共存する不思議な人
 この間、教科書、米軍、安保そのほか、西部氏はやたらと仲間内に喧嘩を売っていたのだった。
 この回想をこういう比喩で書いている。
「孤独は、その時代なり社会なり場所なりを支配している雰囲気から逃亡するときに生じる感情なのでしょう。あるいは、それと闘って(案の定)、破れたときに生まれる感情なのでしょう。いずれにせよ、孤独を自覚するのは人間の輝かしい特権と言わなければなりません。人間だけが、己の言動に意味を見いだそうと努め、その意味を表現し、伝達し、蓄積し、そして尺度するだけのことに未充足を覚える」
 西部氏はレトリックの魔術師と喧嘩師が共存する不思議な人である。その後、偶然がいくつも重なって桜チャンネルの討論番組にでると、三回ほど連続してお目にかかり、録画の収録が終わってお茶をのんだりした。いや、氏はビールだった。直近は正論大賞の会がはねて「正論新風賞」受賞の新保裕司氏を囲む二次会。これは西部さんが事実上の主催者で三、四十人の編集者が中心だった。例によって新宿のピアノのおいてあるスナック。なぜか私と西部氏と二人して、「海ゆかば」を唱った。
 西部さんの書いているモノは基底にニヒリズムがある。十年ほど前に産経新聞に連載された仏教と死生観をめぐる随筆を読んだときに、わたしは不思議な感傷と抱いた。ずばり自死へのさりげない決意が随所で示唆されていたからである。
 そして本書は、このテーマが基底に沈んでいながらも、結局は自死にまつわる思考に収斂されていく。人生を締めくくる方法に関しての思索である。
 こういう箇所が否応なく、わたしの目に飛び込んでくる。
「この『平和』の日本国家あるいは『安全と生存』の日本列島では、『死の選択』という最も人間らしい行為が精神の病理現象として片付けられはじめ、(中略)逆らって僕は、自然死への人生行路にあっても、自分の思想が必要だと考えてきました。簡略に言うと、『これ以上に延命すると、他者(とくに自分の家族たち)に与える損害が、その便益を、はっきりと上回る』と予想されるようになれば、自死を選ぶということです」。
 そういえば、十年以上前だが、氏と会う毎に自死に関してつぶやくように言っていた。ピストルとか、麻薬とか物騒な話をさりげなく話のなかに挿入していて、わたしは全てをレトリックの魔術だろう、と憶測して本気に取らなかった。
 本書はレトリックの魔術師が思う存分の哲学的修飾を施して、いざ本質をはぐらかしているかにも見えるが、現代日本へのアンチテーゼである。日本の政治家は死から逃亡し、まつりごとは自死と対極の補償とシステムだけを論じている。日本の衰弱の原因の大きな要素は、おそらくこれだろう。
 自分の人生を自分の意思で終結させる。人間は本能によって生き延びる。だが、老醜をさらし周囲に迷惑を狼狽をかけるかもしれない自然死に対して、自死の思想があり得ると西部氏は語彙に力を籠めて現代日本人に問いかけているのである。 

 ◎
 西部さんに関しては個人的な想い出も多く、そのうえ氏と小生は共著も出している(『日米安保五十年』、海竜社)。
いずれ、ちゃんとした追悼文を綴りたい。
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