市ヶ谷日記

喜寿を超えた老人です。日々感じたことを、過去のことも含めて、書き記しておこうと思います。

世界最大のコーヒーチェーン店「スターバックス」 ­­―――ブランド・イメージの重視はさすが―――

2022-06-24 | 日記

 今春4月、岡山に住む孫娘が神戸税関の職員に採用され、その初任者研修で東京に出て来た。我々夫婦とは久しぶりの出会いであったので、高級レストランで食事でもしようということになり、何処で食べたいか尋ねたところ、彼女は遠慮がちに皇居近くに最近できた「スターバックス」に行きたいと言う。

 東京には選ぶのに困るほど様々なコーヒーショップがあるが、「スターバックスは頭をすっきりさせるコーヒーの店」として私自身行き付けの店なので、そんなところでよいのかと思いつつ一緒に行くことに決めた。

 孫娘も皇居近くの「スターバックス」は初めてでありどんな店か知らなかったが、スマホの地図を頼りに行ってみると、驚くなかれ御幸通りを挟んで皇居外苑の隣に位置する和田倉噴水公園の一画にあった。一般的には飲食店を設置することなど考えられないロケーションである。

 皇居外苑近くのレストランでは、日比谷公園の「松本楼」が有名である。この場所に松本楼が開設されたのは明治時代、時の東京都知事が気ままに自分の愛人に店を開かせたという由来をどこかで読んだことがある。その後、この一帯は飲食店経営者にとって喉から手が出るほどに格式の高い場所であるのに、100年近く経っても飲食店の数は増えていない。

 和田倉噴水公園は、通常の都市公園と異なり、いわゆる公園行政の流れを汲まない環境省所管の公園である。スターバックスはこの得がたい場所に店舗を構えるのに相当の知恵と予算を費やし、努力したと考えられる。こうした立地場所に賭ける「スターバックス」経営陣のブランド重視の凄さに感動するとともに、これを認可した環境省の英断にも拍手を送りたい。

 「スターバックス」といえば、海外旅行好きの人には中国北京の紫禁城にもその支店があったことを覚えているであろう。我々夫婦も役所を退職した後、中国の紫禁城を訪れ、その中に「スターバックス」の店があるのを知って驚いたことがある。紫禁城といえば、日本の皇居にも比肩し得る中国観光の一等地である。そこに1999年、アメリカ資本主義の象徴とも言うべき「スターバックス」は店舗を開き、そのブランドを限りなく高めたのである。(ただし、スターバックス紫禁城店は2007年、「中国にふさわしいメニューを追加せよ」という中国政府高官の要求を拒否し、撤退を余儀なくされ、今は別の店に変わっている。)

 孫娘が神戸に戻り静かになった6月、再び和田倉噴水公園の「スターバックス」を訪れた。最初に4月、孫娘に連れられて来た時の「この店のロケーションは素晴らしく、多くの客を集めるだろう」との予想どおり、その日も訪れる客で店は賑わっていた。そして、和田倉噴水公園自体がショップに入りきれない客で一杯であった。自宅に向かう帰り道、東京のいたる所に出店している「スターバックス」のあの特徴あるマークがどれも輝いて見えるのが不思議であった。


「真子さまショック」に揺れる株式市場。岸田総理決断の時。

2021-10-05 | 独吟

 今、日本人が懸念している重大問題は、コロナ禍の克服、それに「真子さま結婚」問題の二つである。

 菅内閣は、この二つの問題に適切に対応してこなかった。その証拠に、菅首相の退陣表明を境に株式市場は上昇に転じ、岸田氏が首班に指名されると同時に訳の分からない大幅下落に見舞われている。

 通常は、内閣が変われば、お祝儀を含めて株式相場は上昇する。株式市場は、当初本命であった河野氏を予想して上昇したが、2番手の岸田氏が内閣総理大臣になることが確定した段階で下落に転じ、その後においても下落相場が続いている。

 岸田氏の掲げる「新しい日本型資本主義」や「成長と分配の好循環」が悪いわけではない。国民は二つの問題のうち、コロナ禍の沈静化が進む一方で、「真子さま結婚」問題が近々に切迫しており、このことに懸念を抱いているのである。

 真子さまの問題は、「愛し合う二人の結婚」問題ではなく、伝統ある日本の皇室の崩壊につながる重大問題であることを、多くの国民、そして世界の投資家がうすうす感じているからである。長い歴史の中で皇室の裏事情がこれほどまでに世間に晒されたことはない。皇室関係者が我々普通の日本人とは別格の人及び家族であることを認識し、その上で適切な対応を選択すべきである。

 「真子さま結婚」問題をこれほどまでにこじらせた責任は、一義的には皇室(特に、秋篠宮家)にあり、それを輔弼すべき内閣にある。岸田内閣は、公約などから逸脱してでも、内閣の命運をかけてこの問題に真剣に取り組むべきである。株式相場の推移は、国民のこうした要求を暗示しており、岸田内閣総理大臣の勇気ある決断を期待している。


決死回生の挙。何故、政治家は「愛子さま天皇」に眼をつぶっているのか。

2021-08-18 | 独吟

 2020東京五輪を成功させ、長期政権を目指していた菅内閣は、コロナ対策を巡っての様々な見込み違いや手戻りにより、その命運が尽きかけている。

 早くも、次期内閣総理大臣は誰か、興味本位かつ無責任な下馬評がマスメディアを賑わせている。石破茂元幹事長、岸田文雄前政調会長、野田聖子幹事長代行などの政治家は、これまでの総裁選挙で何度も名前が出ており、賞味期限が過ぎてしまった感がある。

 そして最近は、自民党の二階俊博幹事長が小池百合子東京都知事とタッグを組んで総裁選に臨もうとしており、これに対抗する形で安倍晋三前総理が高市早苗前総務大臣を擁立しようとしている。いずれも初の女性総理大臣を誕生させ、日本政治に新しい流れを創りだそうとする狙いである。

 しかし、女性政治家を内閣総理大臣にすると言えば、これに関連して「愛子さま天皇」の問題を無視するわけにはいかない。「愛子さま天皇」問題は、現在、猛威を振るっているコロナとともに、国民の最大関心事である。単純に考えても、女性の総理大臣はOKであって、女性天皇はNOであるというのは、小学生に対してさえ合理的な説明はできない。その上、筆者がどうしても不思議に思えてならないのは、国民の大多数が「愛子さま天皇」を渇望しているにもかかわらず、男女同権に熱心な政治家(特に、女性政治家)たちがこの問題に沈黙し続けていることである。

 菅内閣の最近の支持率は、昨年9月の発足以来、最低を記録している。菅内閣の人気がないのは、元々首相の風貌に輝きがなく、発言が地味であることが災いしているが、加えて「外を出歩くのはダメ」、「人と食事したり酒を飲み交わすのはダメ」、「オリンピック等の催し物を観るのもダメ」では、国民が鬱状態に陥ってしまったからである。

 菅総理はこの際、決死回生の策として「愛子さま天皇」を掲げ、その実現を国民に訴えるべきである。女性天皇については、皇統の男系思想が重くのしかかっているが、時代遅れも甚だしい。国民は、「愛子さま天皇」の誕生によって、これまでの物憂い日々のことを忘れ、明るい未来を展望できるようになるであろう。


日本を元気にするには、政治改革が必要である。

2021-08-10 | 独吟

我が国は今、暗い雲に覆われている。

コロナは依然として終息の見通しが立っていない。

経済は停滞し、街に元気がない。

そして、国民に元気をもたらすと期待されていたオリンピックは、日本選手の活躍にもかかわらず、その効果を発揮できないでいる。

どうしてか。一番の原因はコロナとともに時を同じくして出現した菅政権の無為無策にあると考える。何を実施するにも、「有識者の意見を伺い」、「地方自治体と協議して」決定するのが常態化している。問題解決に様々な人々の意向を参照するのは良い方法であるが、責任逃れとも受け取られかねない。欧米諸国の政治指導者のように、見識と指導力に基づいて、各種施策を実行すべきであろう。

また、行政における「政治主導」の風潮も、大いに関係あると考える。日本が輝いていた1980年代までは、日本の官僚は世界に冠たる存在でその働きをうまく使うことにより、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国を実現した。それが今や人事権を握る菅首相に向かっては何も言えず何もできない存在になっている。

為政者は、顔が見えることも重要である。残念ながら、菅首相の顔には国民を元気づけるところがない。人の善悪、能力の有無には関係ないが、ジローと睨み回す眼球の動きは爬虫類の眼つきである。官僚を叱咤する時の顔の表情は、蝙蝠が牙を剥き出した時のように、人を震え上がらせる。

やはり内閣改造を含む政治の改革が必要か。

 


ワクチン接種を促進し、普段の生活を取り戻そう。

2021-08-07 | 独吟

 82歳になる男性老人です。この頃、街を歩いていると、腰が曲がり歩行困難な年寄りをたくさん見かけます。コロナが蔓延し、行くところがなくなり、話す相手がいなくなった老人たちが仕方なく街中をうろついているのです。

 このような状況が続けば、コロナで死ななくても、家に閉じこもっていることから生じる身体機能の不全により、今後、大量の死者が発生するのではないかと危惧しています。歳を重ねた筆者には、運動の不足、人との交流の欠如がいかに身体にマイナス効果を及ぼすか、痛いほど分かります。

 巷間、コロナ、コロナと恐れられていますが、コロナで亡くなっている人は、8月に入って一日当たり5人から20人です。コロナ感染者数は変異ウィルスの出現等により増加傾向にありますが、ワクチン接種が急速に進んだ結果、コロナによる死亡者の数は逆に減少しているのです。

 コロナ感染死亡者を最大の一日20人としても、年365日の間に亡くなる人は7,300人の計算になります。この数は多そうに見えますが、日本人全体の年間の死亡者数は、各種腫瘍による死者390千人、循環器系疾病による死者351千人、呼吸器系疾病による死者193千人、消化器系疾病による死者53千人であり、病気以外でも老衰122千人、交通事故等の不慮の死者39千人などと比較しても、驚くほどの数ではありません(死因別死亡者数は2019年人口動態調査の数値)。

 それなのに、国民を家の中に閉じ込め、人との交わりを制限し、マスクの着用を強制するのは如何なものかと憂慮しています。今、政府・地方自治体、そして医療関係者を主体にした諮問機関の有識者が、三密の遵守一本やりの施策を推し進めているのは、方向が逆であるように思えてなりません。

 国民に向かっては、ワクチン接種を強力に呼びかけ、ワクチン接種済の国民には普段通りの生活を許容することが肝要であると考えます。そして、「コロナワクチンは危険であるから、打つのは止めましょう」という一部専門家・有識者の無責任な発言に対しては、その科学的根拠を開示するよう要求してもよいのではないでしょうか。