サーブについて何を書きたかったのかが思い出せない以上、ブログを更新できないでいました。
で、逆に自分はサーブの車についてどれだけ知っているか、を考えてみたのですが、たぶんほとんど何も知らない。
だから、諦めました。
たぶん、サーブ転じてなにか違うことで語ろうとしたんですが、いずれにしても大した話じゃないんだと思います。
それは、いつもそうなのですが。
さて、2連休があったので、せっかくですので1日をススキノで飲み明かした翌朝のことです。
飲み明かしたらもう、空は暗いだけで時間は朝だったので、諦めてススキノに居続けてやることにしたのです。
で、仮眠の後、10時になって、さて帰ろうと決めて建物から出たら、「札幌の快晴、3年ぶりの爽やかさ」みたいな天気。
朝10時の快晴のススキノを歩く。
ススキノとはおよそかけ離れたイメージの環境。
人もまばら。
まるで旅で訪れた知らない街みたい。
そう、ちょうど一人旅をして大きな都市で街中のビジネスホテルに泊まった日の朝はこんな感じ。
仙台とか、金沢、広島を旅で訪れたときを思い出した。
まるで知らない街という、客観的な気持ちで札幌の街を歩いたら、なんだかとても楽しかった。
こんな朝早くからススキノで、雪祭りのための氷像を掘ってる人。
雪祭りより早めに観光で訪れている外人。家族連れ。
さらに、朝にススキノから大通方向へ歩くというのはいつもと逆の方向で、新鮮。
初めて来たような気持ちになってしまった。
いつも、もっとモノゴトを客観的に見ることが出来たらなぁ。
このまましばらく札幌観光をしたら、JRで千歳空港に向かって、どっか遠くの「家」に帰りたいと思ってしまった。
札幌の円山公園に、かつて訪れたとき、世界の森林の面積を表示する電工掲示板があった。いまもあるかな?
当然、森林は減り続けているので、そこに表示される数字は刻一刻と減少していく。
あれを見ていると、ただただその減っていく数字を見ているしか出来ないことが、もどかしいし、危機感を募らせられる。
ただただ減っていくその数字を見ているしかないのだ。
そんなことを思ったのは中学2年生のときだったのに(漠然とね、おっかねーな、と)
10年経った今でも、出来ることは何も無い。
10年できっと、ものすごいケタが動いたんだろう。
何も出来ないで、ただただ過ぎていくのを見ているだけなのは、自然環境ばかりじゃなく、自分が置かれている環境も同じ。
なーんてな。
ほうっておいたら、いくらだって「1日」は俺の目の前から伐採され続ける。
「1日」では何も出来ないけど、どこかで、積み立てる1日へ反転しなければならないはずだ。
で、逆に自分はサーブの車についてどれだけ知っているか、を考えてみたのですが、たぶんほとんど何も知らない。
だから、諦めました。
たぶん、サーブ転じてなにか違うことで語ろうとしたんですが、いずれにしても大した話じゃないんだと思います。
それは、いつもそうなのですが。
さて、2連休があったので、せっかくですので1日をススキノで飲み明かした翌朝のことです。
飲み明かしたらもう、空は暗いだけで時間は朝だったので、諦めてススキノに居続けてやることにしたのです。
で、仮眠の後、10時になって、さて帰ろうと決めて建物から出たら、「札幌の快晴、3年ぶりの爽やかさ」みたいな天気。
朝10時の快晴のススキノを歩く。
ススキノとはおよそかけ離れたイメージの環境。
人もまばら。
まるで旅で訪れた知らない街みたい。
そう、ちょうど一人旅をして大きな都市で街中のビジネスホテルに泊まった日の朝はこんな感じ。
仙台とか、金沢、広島を旅で訪れたときを思い出した。
まるで知らない街という、客観的な気持ちで札幌の街を歩いたら、なんだかとても楽しかった。
こんな朝早くからススキノで、雪祭りのための氷像を掘ってる人。
雪祭りより早めに観光で訪れている外人。家族連れ。
さらに、朝にススキノから大通方向へ歩くというのはいつもと逆の方向で、新鮮。
初めて来たような気持ちになってしまった。
いつも、もっとモノゴトを客観的に見ることが出来たらなぁ。
このまましばらく札幌観光をしたら、JRで千歳空港に向かって、どっか遠くの「家」に帰りたいと思ってしまった。
札幌の円山公園に、かつて訪れたとき、世界の森林の面積を表示する電工掲示板があった。いまもあるかな?
当然、森林は減り続けているので、そこに表示される数字は刻一刻と減少していく。
あれを見ていると、ただただその減っていく数字を見ているしか出来ないことが、もどかしいし、危機感を募らせられる。
ただただ減っていくその数字を見ているしかないのだ。
そんなことを思ったのは中学2年生のときだったのに(漠然とね、おっかねーな、と)
10年経った今でも、出来ることは何も無い。
10年できっと、ものすごいケタが動いたんだろう。
何も出来ないで、ただただ過ぎていくのを見ているだけなのは、自然環境ばかりじゃなく、自分が置かれている環境も同じ。
なーんてな。
ほうっておいたら、いくらだって「1日」は俺の目の前から伐採され続ける。
「1日」では何も出来ないけど、どこかで、積み立てる1日へ反転しなければならないはずだ。