Skb-RS ~ロードスターはじめました~

北海道でロードスター(NB8C)と
デミオ・スポルト(DE5FS)を放し飼いする日記。

Skb-RSとは・・・

日本全国「絆」ごっこ

2012-01-06 23:52:16 | Weblog


新しいVW ビートルは、これまでの「ニュービートル」ではなくて「The」がついて「The ビートル」と言うらしい。
へんなの。

カタチはキープコンセプトながら、背をすこし低めたチョップ・ド・ルーフなスタイルで、不思議とカッコイイ。
ちょっとも違いのようで、一気に魅力的になった気がする。

MINIを意識して、女子だけでなく男子にも訴求できるモデルに近づけたんだろう。




さて。


最近はもう「絆」という言葉がちまたに溢れすぎて、吐き気がしてきたところ。

「絆」「きずな」って、一体なんだと思って発せられているのだろう。


ついには「絆」を名乗る新政党まで登場した。



元来「絆」とは、とても純粋で綺麗な意味の言葉だと思うのですが、

そして、この震災を通して、そんな素敵な「絆」というものに、真の意味で触れたり、再確認したり、そういう機会を持った人々も、実際に居るのだろうと思う。


でも、現状のようにここまで世間に「絆」という言葉が氾濫すると、

もはや言葉の乱用にしか思えない。

言葉だけがどんどん軽いものになっていく。


「安全第一」とか
「Never give up」とかみたいなもので、

元来そこには、大きな重い意味合いがある言葉なのに、

使い古されて軽い言葉になってしまっている。



それでも「安全第一」などが、多用されても基本的には本来の使い道に使われているのに対し、

「絆」については、あいまいな見えないものである為に、余計に様々な場面に多用されすぎる。
乱用されているのだ。



「きずな」「きずな」って、言うほうも聞くほうも、その言葉があれはとりあえず安心なのだろうか。


道徳的な意味を持つ言葉だから、学校教育の中でも多く使われるのだろう。
ある年齢を超えれば、生徒・児童達から率先してこの言葉を使いたがるのだろう。


べつにそれはそれでいいのだけど、正しい意味、重さというのをしっかり教えてほしい。



たとえば、被災地の人たちに何かしてあげたいと思うけど、そのことでたとえば募金をしたり物資を送ったりして、


はっきり言って、そんなことで「絆」なんて生まれるはずがない。

そんなたやすいものじゃない。


あたかも日本中で「絆」キャンペーンが巻き起こってるかのような雰囲気さえあるけど、

冷静に言って、国民の大多数は被災していない。

だとすれば、ほとんどこれは被災者への「絆」の押し付けだとさえ言えそうだ。


募金した、そのことは素晴らしいことだ。

でもそれで、被災地と絆で結ばれているとか思ったら、大きな間違いだ。


もっと謙虚さを持つべきだ。
無力さを知るべきだ。


「やっているふり」「出来ている錯覚」というのがもっとも怖いことだと思う。



本来の絆というのは、互いに感じあって初めて生まれるものだ。
それが生まれるときは、素晴らしいものだろうけれど、

本当の絆が生まれるのは、とても希少なことで、

世の中にそんなに氾濫しているべきものではないと思うのだ。



まじめか。




読み返すとすごいアツく語ってるようだけど、

正直どうでもいい。

「絆」なんて飾りの言葉があろうと無かろうと、大勢に影響はない。