Skb-RS ~ロードスターはじめました~

北海道でロードスター(NB8C)と
デミオ・スポルト(DE5FS)を放し飼いする日記。

「天国からのラブレター」

2010-09-26 01:13:24 | Weblog
「天国からのラブレター」という映画のDVDを借りて、見た。

それを借りるつもりがあったわけではない。

なんとなく、レンタルDVDを見ていたら、目に留まって。


山口県の光市母子殺害事件の話です。



見てみて、正直凹みます。
気分が落ちます。沈みます。


感動したい、とか、涙をおもいきり流したいという気持ちで見る映画ではない。


当たり前です。
実話なのだから。



映画では、犯行の瞬間の描写は無いけれど、この事件についてはこれまでに何度もニュースで、その残酷な犯行の様子を聞いてきたから、それで十分だった。

映画の大半は、夫婦がまだ学生の頃に出会うところから始まって、妊娠、結婚というところを主に伝えていく。
その奥さん役の女優がまた可愛くて、余計に感情移入してしまう。

でも、現実に殺害された弥生さんも綺麗でモテたのだそう。

…だから犯人からしてみれば、ターゲットにしたのかも知れないけれど。



映画を見て以降、この事件や、被害者の夫である本村洋さんに関連するサイトや本をいくつか読んだ。
本を読むといっても、本屋で立ち読み。
本屋で探して、本を見つけるんだけど、どうしても買う気になれないのだ。

本屋の明るい中でだから読んでられるけど、買って一人で読んだら絶対泣いてしまうと思うから。


1999年4月14日の午後2時半頃、当時18歳の少年が山口県光市の社宅アパートに強姦目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入した少年は、女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して窒息死させた。
その後少年は女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘を殺意をもって床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させた。そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。
少年は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の1999年4月18日に逮捕された。
(Wikipediaから引用)





自分の手で絞殺し、その直後に屍姦するのです。


そして、夜帰宅した夫の本村さんは、探しまわった挙句、押入れから二人を発見するのです。


あまりにも残酷です。

あらためてそのことが、辛いことだと思えて。



死刑制度が必ずしも必要だとは思わないんだけど、この事件の詳細を知ると、被害者の気持ちを知ると、やはり死刑しかありえないだろう、っていう感情になってしまう。


9年にも及び繰り返された裁判では、事件について詳しい話を繰り返し聞かされることになる。普通の人が普通に暮らすかぎり、一生口に出さなくても良いような残酷な言葉が使われてやりとりされる。
そんなことを繰り返しては、裁判の「慣習」や「相場」で進められ、絶望させられてきた。


きっと、本村さんにしてみれば、究極を言えば犯人の元少年が、死刑になろうと無期懲役になろうと、本当は関係ないことだったのかも知れない。

どっちにしたって、奥さんと子供さんは生き返るわけではないのだ。

妻と子供が残虐に殺される様を裁判で検証されるのを、何度も耳にするのは耐え難い苦痛だったはずだ。
弁護団のうちの何人かさえ、嗚咽を漏らして泣いたという。

それならもう、犯人の無期懲役を受け入れて、控訴も上告もせず、はやいうちに終わらせてしまうのが、楽な道だったはずだ。

そうする被害者遺族は多いことだろう。

でも本村さんは違った。

それは、「自分の手で死刑にしてやりたい」という復讐の気持ちというよりは、亡くなった奥さんや子供さんの命を無駄にしないため、全国の被害者遺族のため、それらを代表した戦いだったのだろうと、俺は思う。


俺にはとうていできないことだけど、なんとなくそういう気がする。

一審で無期懲役の判決が出たとき、本村さんは「はやく被告を社会に出してほしい。自分の手で殺す」と言った。
きっと、心の底から強くそう思ったのだろうと思う。

でも、それは叶わない。
自分の手で殺せないのであれば、あとはもう一緒だと思う。

妻と子供を失った悲劇には変わらないのだから。


俺も含めた世間は、こういう話題性のある殺人鬼に対して、死刑になることを漠然と望んだり、望まなかったりする。
でも問題の本質は、こういう狂った殺人鬼を生み出さない社会を作り出すこと。
それと、不幸にもその犠牲になる被害者やその遺族が出来てしまったとき、彼らを守ってあげる社会であること。

本村さんは、被害者遺族にして、その裁判を通すなかで、このとくに後者の問題に、憤り、行動を起こし、社会を間違いなく変えた。法律まで作らせた。
それも、23歳からの20代の全ての時間をこの戦いに賭けたと言ってもいい。

どれほど大変なことだったか、絶対に想像できるものではない。
どれほどの人が、家族が殺されたとき、ここまで強くいられるだろうか。


どうして、こんな立派な人の家族がこういう目に遭わなくてはならなくて、一方でろくでもない親によって我が子を殺すような家庭もあるのか。

狂った犯罪を生み出さない社会は、作り出すことが出来るのだろうか。


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