
バナナのぬいぐるみを枕にして寝る犬山。
動物も、枕があると楽なのかな。
教えたわけでもないのに、やわらかいものがあると自分で勝手に枕みたいに頭のせて寝ることがあるんですよね。
さて、大相撲の八百長疑惑で大変な騒ぎなわけですが、
俺は相撲にはあまり詳しくないわけだけど、
でも、なんにしろ終わってるわな、と思う。
過去にこの八百長について写真週刊誌が提訴されて、負けているわけでしょう?
もう、そのことだって真実はどうだったのか、って誰だって否が上にも考えてしまうわな。
裁判までもが八百長だったのか?って、そういうことだって考えてしまう。
今回あらたに発生した問題、とか言うけど、
どうしてそんなこと言うんだろう。
見ている一般の我々は、既に「昔からあったんじゃないの?」って目で見てしまっているというのに。
仮に客観的な目で見たとしたって、「過去には無かった」かどうかなんてすぐに分かることじゃなくて、調査する余地があるんじゃないのか?
そりゃ、「過去にあったか無かったか」なんて、今となっては分かるわけないし、誰もが「無かった」と口をそろえれば、
迷宮入りしてしまうことではある。
けれども、それを調べようとする姿勢を示す必要があるだろう。
過去には絶対ありませんでした。なんて説明で、
そうですか、じゃあ今回はじめてそんなことが行われたんですね、関わった力士を処分しましょう。
そんなことで、解決するだろうか。
相撲って、生身の人間がぶつかりあう。
ルールはシンプルだ。
そこが大きな魅力だろう。
柔道も、ボクシングも、レスリングも、格闘技は全般にそうかも知れない。
けれども、そこに八百長が存在したとなれば、魅力は「半減」とかそんなレベルのものではない。
「皆無」となってしまうのではないだろうか。
野球とかサッカーとか、バレーボールでも何でもいいんだけど、
球技というのは、球や道具を使う競技だ。
もし野球やサッカーに八百長があったとして、それは大変に残念なことだろうけど、
時折見せられるスーパープレイなんていうものは、八百長とか抜きに純粋にすごいものがある。
超絶スーパーキャッチとか、起死回生のダイレクトボレーシュートとか、
そういうところにヤラセなんて有り得ない。
仮になんらかのヤラセだとしたって、そのプレー自体は単純にすごい、って思う。
でも、相撲はそういうものじゃないから、勝敗だけじゃなくて、その手段・ワザまでも申し合わせていたのだとしたら、
本当に魅力を感じることが出来なくなってしまう。
実に勝手なことを言わしてもらうと、
相撲って特殊な世界だ。
中学を出て、すぐに部屋に入る等、若いときからその世界に飛び込んでいく。
詳しいことはわからないんだけど、大学を出てから相撲の世界に入るケースなんて、あるのかな?
あってもかなり稀なケースなのでは?
そういうわけで、かなり外の世界とは隔離された世界のように思う。
プロ野球やJリーグでは、高校、大学、社会人、いろいろなところから入団してくる道がある。
このあたりの違いが、大相撲の特殊性だと思うのだ。
給料体系の問題もあるようだけど、このような外の世界とは隔てられたことが感覚を狂わせたり、中で(部屋を越えて)互いに守りあうようなシステムが築かれたひとつの要素となっているのかな、などと考えました。
こういうのに、八百長もクソもないでしょう!
何回見てもすごいよな・・・w
笑うしかない。
人間ってすごいw
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