10月から12名の韓国の大学生が、日本語・日本文化の研修と現場インターンシップを今月中まで、16週間を熊本市で過ごした。 日本語能力の違い、専門の違いが各学生にはあったが、それぞれに熊本での体験をとおして、成長して行った。 違う文化、社会環境の中で、自分自身を振り返り、大きな未来の社会の中の自分という人間を考え、どんな存在であるべきかを問う機会となったことと思う。 そして、その中の一人のインターンシップ生の感想である..
夢と勇気を与えてくれ、
思いやりとかけがえのないものを
教えてくれた4週間
ユン・ガビンさん
最初に熊本に行こうと決めたとき、「熊本はどういうところなのか」という心配と同時に緊張と期待を抱き、熊本行きの飛行機に乗り、熊本に到着した。
ずっと前から夢に描いてきた日本での生活をいざ前にして、呆気にとられ、慣れなくぎこちなかったが、「絶対、かけがいのないものを掴んで、喜びに満ちて韓国に帰ろう」という私の小さな望みがあったため、次第に日本での生活に適応していくことができた。私なりに一生懸命勉強してきて、認められながらも積み上げてきた日本語も、他の人と比較したとき「私の日本語の実力は大したことないな」という劣等感と挫折感で、さらにいっそう「ここで奮い立たなければダメになるな」と感じたこともあった。しかし「ここで挫折したらダメだ。私はできる」という大きい自信と勇気を出させてくれた、私の大切な初めての職場「KUMAMOTO CITYFM」。
「?.?.?」と私の名前の3文字がプリントされている名札を首にかけて、普通では経験できない多くのラジオ番組のゲスト出演と、私の名前を掲げて進行した「ウンチェとガビンの日本にいます」。CITY FMで仕事をしながら、「私たちにこんなのに良くしてくれなくてもいいのにな」と少し負担を感じるほど、韓国では感じられない他の人たちへの配慮とあたたかさが、私をぽかぽか暖かく包んでくれた。DJをしながら慣れていない発音と漢字で失敗も多く、緊張もたくさんしたが、自分たちのラジオを毎回聞いてくれ、応援してくれる多くの人々のため、一寸のミスのない完璧なラジオ放送を導いてくれた放送家の人たちの徹底したプロ意識を見て、驚くことも多く感じることも多かった。最初は、専攻として勉強しているのが観光のため、明らかに私はたぶん観光の方面で働くだろうなという考えがあったが、今ではなぜそんなふうに考えていたのだろうと思うほど、情に溢れあたたかさに溢れている場所であった。わざわざ韓国に対して多くの関心を持ってくれ、私たちから一つでも多く学んでみたい、得ていきたいと、努力をする多くの人たちの姿を見ながら、感動し歓喜の気持ちでいっぱいだった。朝早起きをするのが辛く、任された仕事が全て終わったら何をすればいいのかという不安と緊張の連続で一日一日を過ごしていったが、皆さんがまるで自分の娘のように、妹のように、孫娘のように接してくださった職員の方たちを見ると、心強い家族ができたような幸せな気持ちになった。
考えの違いと文化の違いで苦労もあり、食事が合わないこともあったが、韓国から来た子だからと、あたたかく大切に接してくれた日本人の行動一つ一つは、生涯忘れられないほど非常に心温まるものだった。社会生活のルールというのを何も知らず、臆病者であり挑戦することを恐れていた4ヶ月が過ぎ、韓国に戻ってきた今、非常に自信に満ち、立派な21歳に成長したようで、満たされている。
自信がないといっていつも落胆していた日本語の実力も、今はどんな日本人に会っても物怖じしないで堂々と対話をし意見を言える程に成長し、自分自身に対しても満足できて嬉しい。グローバルインターンシップという機会を通して、日本に行っていなかったとしたら、いつも自分の殻に閉じこもったまま、他の人たちを羨ましく思い、一言も話せない臆病者として生きていったかもしれないが、機会を逃さなくて良かったという気持ちと、もうすぐ卒業して22歳になるけれど、後悔のない最後の大学生活の、非常に大きなかけがえのないものを得たようで、さらに一層素敵な人生を生きていく答えを得ることができたようで、他人を羨むことのない気持ちになった。
4ヶ月の間、長い間夢に見てきた「留学・就業」を完璧に叶えることができ、とても幸せで、他の願いを考えてみてと誰かに言われたら、「これ以上願いはありません」と言うほど、出会いと経験一つ一つがすべて大切で、次にまた日本に行けたら「私、また戻ってきたよ!」と心の底から思いながら明るく日本を迎えることができるようになっていることだ。
夢と勇気を与えてくれ、
思いやりとかけがえのないものを
教えてくれた4週間
ユン・ガビンさん
最初に熊本に行こうと決めたとき、「熊本はどういうところなのか」という心配と同時に緊張と期待を抱き、熊本行きの飛行機に乗り、熊本に到着した。
ずっと前から夢に描いてきた日本での生活をいざ前にして、呆気にとられ、慣れなくぎこちなかったが、「絶対、かけがいのないものを掴んで、喜びに満ちて韓国に帰ろう」という私の小さな望みがあったため、次第に日本での生活に適応していくことができた。私なりに一生懸命勉強してきて、認められながらも積み上げてきた日本語も、他の人と比較したとき「私の日本語の実力は大したことないな」という劣等感と挫折感で、さらにいっそう「ここで奮い立たなければダメになるな」と感じたこともあった。しかし「ここで挫折したらダメだ。私はできる」という大きい自信と勇気を出させてくれた、私の大切な初めての職場「KUMAMOTO CITYFM」。
「?.?.?」と私の名前の3文字がプリントされている名札を首にかけて、普通では経験できない多くのラジオ番組のゲスト出演と、私の名前を掲げて進行した「ウンチェとガビンの日本にいます」。CITY FMで仕事をしながら、「私たちにこんなのに良くしてくれなくてもいいのにな」と少し負担を感じるほど、韓国では感じられない他の人たちへの配慮とあたたかさが、私をぽかぽか暖かく包んでくれた。DJをしながら慣れていない発音と漢字で失敗も多く、緊張もたくさんしたが、自分たちのラジオを毎回聞いてくれ、応援してくれる多くの人々のため、一寸のミスのない完璧なラジオ放送を導いてくれた放送家の人たちの徹底したプロ意識を見て、驚くことも多く感じることも多かった。最初は、専攻として勉強しているのが観光のため、明らかに私はたぶん観光の方面で働くだろうなという考えがあったが、今ではなぜそんなふうに考えていたのだろうと思うほど、情に溢れあたたかさに溢れている場所であった。わざわざ韓国に対して多くの関心を持ってくれ、私たちから一つでも多く学んでみたい、得ていきたいと、努力をする多くの人たちの姿を見ながら、感動し歓喜の気持ちでいっぱいだった。朝早起きをするのが辛く、任された仕事が全て終わったら何をすればいいのかという不安と緊張の連続で一日一日を過ごしていったが、皆さんがまるで自分の娘のように、妹のように、孫娘のように接してくださった職員の方たちを見ると、心強い家族ができたような幸せな気持ちになった。
考えの違いと文化の違いで苦労もあり、食事が合わないこともあったが、韓国から来た子だからと、あたたかく大切に接してくれた日本人の行動一つ一つは、生涯忘れられないほど非常に心温まるものだった。社会生活のルールというのを何も知らず、臆病者であり挑戦することを恐れていた4ヶ月が過ぎ、韓国に戻ってきた今、非常に自信に満ち、立派な21歳に成長したようで、満たされている。
自信がないといっていつも落胆していた日本語の実力も、今はどんな日本人に会っても物怖じしないで堂々と対話をし意見を言える程に成長し、自分自身に対しても満足できて嬉しい。グローバルインターンシップという機会を通して、日本に行っていなかったとしたら、いつも自分の殻に閉じこもったまま、他の人たちを羨ましく思い、一言も話せない臆病者として生きていったかもしれないが、機会を逃さなくて良かったという気持ちと、もうすぐ卒業して22歳になるけれど、後悔のない最後の大学生活の、非常に大きなかけがえのないものを得たようで、さらに一層素敵な人生を生きていく答えを得ることができたようで、他人を羨むことのない気持ちになった。
4ヶ月の間、長い間夢に見てきた「留学・就業」を完璧に叶えることができ、とても幸せで、他の願いを考えてみてと誰かに言われたら、「これ以上願いはありません」と言うほど、出会いと経験一つ一つがすべて大切で、次にまた日本に行けたら「私、また戻ってきたよ!」と心の底から思いながら明るく日本を迎えることができるようになっていることだ。