先の記事投稿で、ボラキャンのアレック・ディクソン賞受賞報告会のことをレポートしました。
7回を実施したボラキャンです...
今、振り返ると... ボラキャンには「21世紀を自分らしく生き抜く力を持った地球市民の育成」という一貫したテーマがありました。 これにはボラキャン実現に大きく関与された玉名高定時制教諭で、日本ボランティア学習協会常任理事だった故榊定信さんの強い思いがありました。榊先生は、教育現場の経験から、社会から若者が生きる力を養う場が無くなっていると危惧されていた。ボラキャンは、益々グローバル化が進展していく大きな社会の中で、若者が人として強く生き抜いていく力を見つけるきっかけになればと願った榊さんの強い思いから始まったイベントでもある。2006年のことでした。
その第1回目が国際ボランティアセミナーとして開催されました後、榊先生が亡くなられて、第2回目の開催が危ぶまれましたが、日本ボランティア学習協会代表理事の興梠先生に支え、各団体の支援、そして、高校生たちの継続したい!という意欲で、第2回が、翌年2007年に開催できました。
高校生たちはたくさんの失敗を繰り返しながらも、その失敗と反省、そしてアクションによって、ボラキャンは発展し続けました。 多くの高校生の参加、そして、多くの団体の皆様に支えられてきました。
ボラキャンがこのように継続、人をつないできた大きな理由に、この活動が高校生による高校生のための活動であったからと思います。 上記のように、失敗を繰り返しながら、色々なことを学びあった仲間たちがいました。 そして、お互いを必要とした... その結果、かけがえのない友として友情が発展していったものを考えます。
これからもボラキャンは、進化、深化していくことでしょう!
7回を実施したボラキャンです...
今、振り返ると... ボラキャンには「21世紀を自分らしく生き抜く力を持った地球市民の育成」という一貫したテーマがありました。 これにはボラキャン実現に大きく関与された玉名高定時制教諭で、日本ボランティア学習協会常任理事だった故榊定信さんの強い思いがありました。榊先生は、教育現場の経験から、社会から若者が生きる力を養う場が無くなっていると危惧されていた。ボラキャンは、益々グローバル化が進展していく大きな社会の中で、若者が人として強く生き抜いていく力を見つけるきっかけになればと願った榊さんの強い思いから始まったイベントでもある。2006年のことでした。
その第1回目が国際ボランティアセミナーとして開催されました後、榊先生が亡くなられて、第2回目の開催が危ぶまれましたが、日本ボランティア学習協会代表理事の興梠先生に支え、各団体の支援、そして、高校生たちの継続したい!という意欲で、第2回が、翌年2007年に開催できました。
高校生たちはたくさんの失敗を繰り返しながらも、その失敗と反省、そしてアクションによって、ボラキャンは発展し続けました。 多くの高校生の参加、そして、多くの団体の皆様に支えられてきました。
ボラキャンがこのように継続、人をつないできた大きな理由に、この活動が高校生による高校生のための活動であったからと思います。 上記のように、失敗を繰り返しながら、色々なことを学びあった仲間たちがいました。 そして、お互いを必要とした... その結果、かけがえのない友として友情が発展していったものを考えます。
これからもボラキャンは、進化、深化していくことでしょう!