201904021私に出来る事は

2019-04-22 12:46:54 | 日記
平成31年4月21日(日)
選挙に行こうと身支度していたら、
久しぶりに保育園時代の友達から電話。

聞いてもらいたい事がある。
うちの人が死にました。
「え“~!」

この歳になると配偶者を亡くすことはめずらしくない。

でも、ついこの間、彼女の発表会の後、
「まだ帰らないのですが、どこに行ったか知りませんか」と
電話をもらった気がする。

彼女が辛いのは、
「だれにも知らせるな。密葬にして、遺骨は、、、、」
という遺言があったこと。

妻子と当人の兄だけの家族葬をしたそうだ。

奥さん側の親戚、友人には知らせていない。
子供も友達に話していない。
近所の人にも。


葬儀は生き残った人のためにするもの、
参列者は生き残った人のために出向くものだと思う。

昭和59年の母の葬儀は 普通の主婦としては盛大だった。
それは母に対してだけでなく、
父に対して親戚、仕事関係の方が来て下さったから。

下町零細企業主では、
先に逝った奥さんは盛大で、社長の時はさびしいことはよくある。

平成元年の父の葬儀は 長兄が喪主で
(お母さんの時より少なかったらお父さん可哀想)と心配した。
長兄が仕事関係にガンバリ、私も親戚に連絡しまくり、
兄弟姉妹5人の家族、学校、仕事関係の方が来て下さり同規模にできた。

平成29年の長兄のときは 
葬儀屋さんの提案に義姉がのり家族葬にした。
弟姉妹4人の家族までで10数人。

(お父さんの時にガンバッタのに、お兄ちゃん可哀想)と思うが、
生き残った人が納得しているからよしとしよう。


彼女も自分の気が済むように、別れを惜しみ悲しみ嘆けばよいのだ。
自分が骨になるまで一緒に暮らし、二人の骨はお子さんにまかせればいい。

学生時代の出会いから話を聞かされていた最愛の配偶者をなくした友達に
私ができる事は 



残された時間に幸せを見いだせるように
四葉のクローバを贈る事だけ。

投票の後、土手へ直行。

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コメント
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