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「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

ジャガーの眼

2019-05-21 14:57:26 | 趣味人的レビュー

芝居やドラマの戯曲の中には、役者がそこに書かれたセリフをちゃんと言えさえすれば芝居として成立するものもあるが、唐十郎(から じゅうろう)の書く戯曲は力量のない役者がやると、そこに書かれたセリフをどれだけ綺麗に正確に言えても、見ている側にその物語世界が一向に立ち上がってこない。そういう意味では、とても残酷な戯曲だとも言える。

その上、唐の芝居はとても複雑で分かりにくい。いや、ストーリー自体は意外に単純なのだが、挿入される言葉遊びや悪ふざけのような膨大なセリフや登場人物たちの普通ではない行動原理に幻惑されて、ストーリーをどんどん見失ってしまう。唐組の舞台を見始めた頃は、「結局何だったんだ、あの話は?」と思いながら紅テントを後にすることがずっと続いて、「俺はバカなのか?」と落ち込むことも多かったが、舞台が終わって出てきた人たちが「いや~全然分かんなかった」とか言っているのを聞いて、ちょっと楽になった。

さて、唐組の2019年春公演『ジャガーの眼』を5/19に雑司ヶ谷・鬼子母神で見てきた。『ジャガーの眼』を見たのは、これで3回目になる。初見は唐十郎が唐組を立ち上げて間もなくの1989年に目黒不動尊で行われた公演、2回目は1995年版か1997年版のどちらかだったと思う。今回は、さすがに3回目ともなると物語がよく分かるなー、とちょっと嬉しかった。

『ジャガーの眼』は、寺山修司の「臓器交換序説」をモチーフに、死去した寺山へのオマージュとして書かれた作品で、だから何度も寺山の名が出てくる。ストーリーをかいつまんで述べると、ヤミの臓器バンクで入手した、人から人へと渡り歩き「ジャガーの眼」と呼ばれるようになった角膜を移植された青年、しんいちが遭遇する悪夢のような出来事を描いた話である。そこでは角膜自体が意思を持つかのように反応し、命のないただの人形が動き出す。

興味のある人は、YouTubeに状況劇場時代に上演された『ジャガーの眼』の丸ごと全部がアップされているので、それを見てほしい。

現在、唐組では病気療養中の唐十郎に代わって久保井研が演出しているが、唐組の『ジャガーの眼』も基本的にこの状況劇場版の演出を踏襲している。けれども個人的には、久保井が演出するようになって、唐が演出していた時より物語の輪郭がよりクッキリと明確になったような気がする。

以前は劇評論家が書いていた唐組の公演パンフレットの解説も、最近は久保井が書いていて、それを読むと彼の唐作品への理解の深さがうかがえる。特にそれが分かるのが前回の2018年秋公演『黄金バット~幻想教師出現~』のパンフレットに書かれた久保井の解説だ。

人が人に対してどれほどの愛情や興味を持てるのか、この戯曲はそんなことを問いかけてくる。師と仰ぐ人はそんなに幾人もいないだろう。しかし生きて来た中で自分以外、他者から得た忘れがたい言葉や体験は多くあるはずだ。この物語の登場人物も皆、それにまつわる記憶と共に生きている。「吸血姫」がほとばしる観念や生き様への渇望の物語とすれば「黄金バット」は飛び立たんが為に、幾つもの記憶の塊を掘り起こす人々の物語といえるだろう。

『ジャガーの眼』についても、ネット記事「唐組『ジャガーの眼』再演!」で久保井が、作品が書かれた背景や物語の解釈などについて述べている。

さて、唐組の2019年秋公演は『ビニールの城』と聞く。これは唐が石橋蓮司と緑魔子の主宰する劇団・第七病棟のために書き下ろした作品で、唐組としては初演になる。この記事を見て私と一緒に見に行きたいという人がいたら、連絡乞う。

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