映画『キリングフィールド』のED曲「Etude」をBGMにして…。これはカンボジアの民俗楽器で演奏される、私が知る最も美しい『アルハンブラの思い出』の調べ。
Tink改め森田夏実さんの今年3回目の個展へ。前回はかなり怖い絵だったが、今回は彼女が出す絵本の原画展と、その絵本の中の物語の朗読会である。個展に先立ってfacebookでは作家本人が原画の制作過程をup。1枚1枚の絵が完成していく様子を公開していた。
それを見ながら思ったのは「今回の絵は音が聞こえる」ということ。私には、その絵から確かに音が聞こえるのが感じられた。
曲のあるフレーズを聴いた瞬間、あるいは小説のある一節を読んだ瞬間、ヴィジュアル・イメージが頭に浮かぶ、という体験は何度もしたことがある。しかし、絵から音を感じるということは、これまでなかったように思う。少なくとも、そういう体験をしたエピソードは思い浮かばない。たから、これは私にとっても、ちょっと特異な体験だった。
実は、個展では18日と19日の2日間、朗読とクリスタル・ボール演奏のコラボが行われた。そうした「音と絵、そして朗読のコラボを行う」ということが、意識的にか無意識的にか描く絵に影響していたのかもしれないが、本当のところは私にもわからない。
今回の個展で気づいたことが、もう一つある。
私は元来、色で絵を語ることはしないのだが、森田夏実という人の絵は色そのものが固有の物語を持っているので、私らしくないのを承知で、色について少し書きたい。
私が見て、彼女の絵で特に印象深い色は青と黄。もう1色加えるなら緑。
魂を連れ去る青
心の奥底へと照射する黄
そして、命そのものが脈動する緑──
ところが不思議なくらい赤は印象が希薄だった。赤が使われていないわけではない。それどころか、赤を中心に据えた絵もちゃんとある。にもかかわらず、少なくとも私には、その赤に何かを感じることはなかった。
そして、これは作家本人にも話していなかったことだが、この赤が変わる時が彼女の変わる時なのだろうと思っていた(彼女が変わることによって色が変わるのか、色が変わることで彼女が変わるのか、はともかくとして)。
だから、facebookでupされた絵に、初めて赤が「生きた色」としてあるのを見てちょっと驚いた。そして、その赤こそ「音が聞こえる赤」だったのだ。
青、赤、そして黄──これを「生命の木」に当てはめてカバラ的に解釈すると、それが意味する全く別の側面が見えてくるのだが、それは本稿の主題から外れるので、ここでは述べない(興味のある方はコメント等で個人的に聞いてください)。
期せずして森田夏実という絵描きを、こうして約1年の間追ってきたが、次の作品では何がどう変わるのだろう。楽しみ
新作はアップされていないが、作品に興味があれば森田夏実のHP、Twinkle Museumもどうそ。
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