「NewsWeek日本版」が3/28付けで「肺にまさかの「造血」機能、米研究者が発見」という記事をアップしている。
詳しくは記事本文を見てほしいが、書かれていることは記事冒頭の
肺は空気を呼吸することにより、吸気内の酸素を血液中に取り込み、また血液中の二酸化炭素を呼気を通じて体外に排出する機能が一般に知られている。だがそれ以外に、哺乳類の肺には「血を作る」機能もあることが、米国の研究者らによって明らかになった。
ということに尽きる。
その上で記事では
科学の世界では数十年来、骨髄がほぼすべての血液成分を作っているという前提に立っていた。だが研究チームは、マウスを使った実験で、肺が1時間あたり1000万個以上の血小板を生産していることを発見
したということを、「科学の常識を覆す発見」という小見出しで述べている。
私もこの記事を読むまで、肺が造血機能を持っているなどとは思ってもみなかった。ただ、そもそも「骨髄がほぼすべての血液成分を作っているという前提に立っていた」という、その「前提」がどこまで根拠のあるものだったのか、という点は疑問だ。
解剖学的には人体は循環器系、消化器系、呼吸器系、脳神経系、…などと区分され、それを前提として論が展開されるが、そうした区分自体、人が勝手にこうしたら分かりやすい、という理由で恣意的に決めただけのものに過ぎない。例えば、解剖学的には消化器系である腸には、固有の反射弓を備え、中枢神経系を介さずに消化管機能を制御できる、腸管神経系が存在することが知られている。その腸管神経系は、自律的制御や中枢神経系に類似する機能に加え、それを構成するニューロンの数は脊髄のそれに匹敵するという(腸管神経系については、例えば静岡大学の桑原厚和氏のページを参照)。
考えてみると、各器官あるいは器官系は体全体の中の機能の一部を分業して担っているわけだが、同時にそれぞれがある程度独立採算で動けるようになっていないと、ある器官/器官系に問題が生じた場合、それが即、個体としての機能不全→死に直結してしまう。とすれば、腸がそれ自体で思考、判断できる系を持っていたり、肺が血液(記事によると血液全てではなく血小板のようだが)を産生できるようになっていても、必ずしも不思議とは言えない。
こうしたことから何かの教訓が得られるとしたら、私は
思考の前提を疑え
ということだと思う。思考や判断は常に何らかの前提があって行われるものだが、その前提は果たして本当に正しいのか?ということだ。「肺は呼吸器系の一部であり、造血は骨髄でしか行われない」という前提からは、「肺で血液(の成分の一部)が作られる」という結論は出てこない。だからこれが「科学の常識を覆す発見」などという頓馬なことになってしまう。
特に医学は、その前提となる常識とされるものに根拠不明のものが多々あるので、広い意味で医療に従事する人間は、医学的常識が全くないのは問題だが、医学的知識の生き字引みたいになるのがいいことだとは全然思わないのだ(これについては人それぞれ意見のあるところだとは思うけれど)。
まずは、
思考の前提を疑え
だ。
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