深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

鉄血の孤児たち

2017-04-03 20:54:58 | 趣味人的レビュー

アニメはよく見るのだが、なぜかガンダムには非常に疎くて、ガンダム・シリーズの中で過去に私が見たのは『ガンダムOO(ダブルオー)』だけしかない。そんな私が『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』を見ていたのは、放送していたのが自分がよく見る枠だったことと、『あの花』の長井龍雪と岡田麿里がそれぞれ監督とシリーズ構成・脚本を手がけていたからだった(そういえば、『ガンダムOO』も『鉄血のオルフェンズ』も、「ガンダム」という名を冠しているが、他のガンダム・シリーズとはつながりを持たない独立した作品である点で共通している)。

その『鉄血のオルフェンズ』は第2シリーズまで作られ、4/2の放送で最終回を迎えた。実は私、第1シリーズは(特に前半)あまり好きになれず、ちゃんと見るようになったのは物語が終わりに近づいてからだったが、第2シリーズは結構、のめり込むように見ていた。

物語は「厄祭戦」と呼ばれる大きな戦争によって人類の相当数が死に、世界の秩序が大きく変容した未来世界の火星で始まる。地球の統制が及ばなくなったその地では、オルフェンズ(孤児たち)が「ヒューマン・デブリ(ゴミ人間)」と呼ばれて大人たちから搾取され、過酷な労働を強いられていた。
そんな中、オルガ・イツカや三日月オーガスらが所属する民間警備会社クリュセ・ガード・セキュリティ(CGS)は1人の少女、クーデリア・藍那(アイナ)・バーンスタインの護衛を請け負うことになる。名家の出身でありながら火星独立運動に関わる彼女は、地球のアーブラウ政府と独自に交渉するため地球を目指していたが、それを危険視する地球圏では、各国連合の総意によって設立された軍事組織ギャラルホルンが、クーデリアの身柄を引き渡すよう迫っていたのだ。
CGSで奴隷のように使われてきたオルガや三日月らは、ギャラルホルンの襲撃を受けて秩序を失ったCGSを乗っ取ると、オルフェンズたちが自主運営する組織、鉄華団を設立(その名は「決して散ることのない鉄の華」を表す)。厄祭戦時代の遺物である“呪われた機体”ガンダムフレームに乗り込み、ギャラルホルンを撃退する。そしてクーデリアとともに地球を目指す中、木星航路を実質支配するテイワズに連なるタービンズとも交戦状態に入るが、その後、オルガはタービンズ代表である名瀬タービンと兄弟の杯を交わし、鉄華団はテイワズの傘下となる。
テイワズという強力な後ろ盾を得てギャラルホルンさえうかつに手が出せなくなった鉄華団は、クーデリアとともに無事、地球に降り立ち、彼女は密かに交渉を進めていたアーブラウ代表、蒔苗(まかない)東護ノ介とも会うことができた。だがその時、蒔苗は贈収賄の容疑がかけられて代表の座を追われ、武装したギャラルホルンのモビルスーツ隊が取り囲む屋敷の中で監禁状態にあった。そこで鉄華団とクーデリアはガンダムフレームによる正面戦闘でギャラルホルンのモビルスーツ隊を突破。団員に多数の死傷者を出しながらも、蒔苗を再びアーブラウ代表に返り咲かせることに成功し、火星独立に向けた橋頭堡が築かれた──というのが第1シリーズの概要。

ちなみに、ガンダムフレームを動かすためには人体をメカと直接接続させるアラヤシキ・システムという機構を体に埋め込まなければならない。厄祭戦以降は非人道的という理由で禁忌とされたその手術を、火星のCGSでヒューマン・デブリとして使われていた少年たちは、作業用メカを動かすため強制的に受けさせられていたのだ。

 

第2シリーズでは、上の一件によって名を上げ、テイワズ内でも確固とした地位を築きつつあった鉄華団に、ギャラルホルンのマクギリス・ファリドが接触してくる。マクギリスは7名家の合議制によって運営されるギャラルホルンの体制変革を目論見、鉄華団をそのために働く手足とすべく同盟関係を持ちかけてきたのだ。その見返りとして、ギャラルホルンは火星の独立を支援し、その独立が成った暁にはオルガを「火星の王」にすると。「火星の王」という名目には興味はないが、かつてヒューマン・デブリと呼ばれたオルフェンズのために安住の地を作ることが団長としての責務と考えるオルガはマクギリスと手を組むことを決断。だが、マクギリスと鉄華団の前にギャラルホルン地球統制統合艦隊を率いるラスタル・エリオンが立ち塞がる…。


特に日本のアニメは、物語の中で主人公(やそのグループ)が人を殺す、ということを徹底的に避ける傾向がある。ほとんどのアニメでは主人公たちは、そうすることに十分な理があったとしても、どんな無理をしても相手を傷つけることはしても殺すことはしない。しかし『鉄血のオルフェンズ』は違う。ガンダムフレームに乗る三日月は感情を表に表さず、相手を殺すことに何のためらいもない。ギャラルホルンを自らの支配下に置くことを狙うマクギリスもまた、幼なじみですら平然と欺き、そして殺す。抑圧された少年たちがギラギラと血をたぎらせる熱血アニメのようでありながら、どこか冷え冷えとした冷徹さが全編を覆っているのが、この『鉄血のオルフェンズ』という作品のカラーである。

岡田麿里は優れた群像劇の書き手だが、『鉄血のオルフェンズ』はその力が頂点に達した作品と言えるのではないだろうか。その上で最終回を見終わって思うのは、鉄華団と新選組の類似性である。『鉄血のオルフェンズ』を書くに当たって、岡田麿里がそれを意識していたのかどうかは全く分からない。ただ、結成までの経緯は鉄華団とは大きく異なるが、あぶれ者の若者たちが武士になることを夢見、会津藩という後ろ盾を得て池田屋事件で名を馳ながら、内部粛清を経て、最後は徳川慶喜の思惑に乗せられた結果、鳥羽伏見などで敗走を重ね、瓦解していった新選組と、第2シリーズで鉄華団の辿った道は、驚くほど重なって見える(あるいは、1つの組織が崩壊に至る道筋とは、そういうものなのだろうか)。

そういえば、鉄華団のオルガと三日月の関係性も、ちょっと特殊だ。三日月はムダなことは一切言わず、ただ「それでオルガはどうしたいの?」、「オルガ、次は何をすればいい?」とだけ尋ね、戦闘では鬼神のような働きを示す一方、オルガはその三日月の問いに促されるように、鉄華団を率いてひたすら前へと走り続ける。これもどこか、新選組の近藤勇と土方歳三の関係性に重なる。新選組では流山で捕らえられ処刑された近藤の遺志を継ぐように、土方は会津、函館と転戦を重ねるが、鉄華団では先にオルガが銃弾に倒れ、動揺する団員に三日月は「死ぬまで生きて、オルガの命令を果たせ」と檄を飛ばし、脱出するメンバからギャラルホルンの攻撃の矛先をそらすべく、おとりとなる道を選ぶ。そんな彼らが残したものは果たして何だったのだろうか?

その1つの答でもあり、『鉄血のオルフェンズ』への鎮魂歌とも言える第2シリーズのED2、『フリージア』を添付して、この文章を終わりたい。


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