人間と妖夢の間に生まれ、自らの中に妖夢を取り込んだ不死身の半妖の少年、神原秋人と、妖夢討伐を生業とする異界士の中でも、忌み嫌われる呪われた一族の最後の生き残りの少女、栗山未来(みらい)の物語、アニメ『境界の彼方』が、劇場版の『未来篇』をもって完結した。
『境界の彼方』はテレビシリーズが2013年10月~12月に放送されたが、2015年に劇場版がテレビシリーズを再編集した『過去篇』と、その続篇で完結篇となる『未来篇』の2本立てで公開されている。
テレビシリーズでは、栗山未来が神原秋人の前に姿を現した経緯は回が進むにつれて徐々に明らかになっていく展開だったが、『過去篇』では物語をコンパクトにまとめる必要があったからだろう、未来がその地の異界士を束ねる名門、名瀬家の当主、泉から秋人を抹殺するために呼ばれるところから始まり(この部分はテレビシリーズでは台詞の中で語られるだけだったのを、新たに追加している)、時系列に沿って進行していく(テレビシリーズは、学校の屋上で初めて出会った未来に秋人がいきなり刺されるが、不死身の秋人は何度刺されても死なない、というシーンで始まる)。
『過去篇』が丸ごとアップされているので、興味のある人はまずこれを見てほしい。なおエンドロールで切らないようにご注意(画面が暗いのは消されないための対策
だと思われるが、それでもいつ消されるかもわからないので、見るなら早く。)
では、ここからは『過去篇』までの内容はわかっている、という前提で話を進める。
この『境界の彼方』は最初に述べたように、ともに「普通ではない」存在として生きなければならない秋人と未来の2人の物語だ。この2人は立場的にちょうど裏表の関係にあるのだが、物語は最初、栗山未来の話として語られながら、それがいつの間にか神原秋人の話に変わっている。それは、表側を辿っているはずがいつの間にか裏側にいる、メビウスの帯のような円環構造をなしていると見ることができる。
円環構造は、これだけではない。
妖夢「境界の彼方」は秋人の中に取り込まれているだけではなく、その妖夢の中に秋人がいる。1つは未来が妖夢の中に持ち込んだ傀儡として、そしてもう1つは妖夢の中心を構成する負の感情として。この内側と外側がシームレスに移行する円環構造は、ちょうどクラインの壺のようだ。
つまり『境界の彼方』は、このねじれた円環構造を物語の中に持っているのだ。
ちょっと穿(うが)った見方をすると、未来が自らの血を武器として解放する時に外す指輪がまさに円環であり、この物語の構造を象徴的に表しているように私には感じられる(なお、この指輪の来歴は『未来篇』の中で明らかになる)。
そして円環の特徴とは、それが普通の輪であれメビウスの帯であれクラインの壺であれ、最後には必ず元の場所に戻る、という回帰性にある。その回帰性を象徴的に表していたのが、テレビシリーズの第1回の最初と最終回の最後の、校舎の屋上での秋人と未来の出会いのシーンだ。
だが劇場版では『過去篇』の最後に更にひねりが入って、テレビシリーズではまだ物語が回帰していなかった、ということで、次の『未来篇』に続くのである。
実は『未来篇』もまた円環構造が続いていて、テレビシリーズ/『過去篇』未来の物語で始まり秋人の物語で終わったのに対して、『未来篇』は再び未来の物語に回帰する。そして消えた名瀬泉と藤間弥勒の物語か絡みながら、神原秋人の母、弥生がこの多重円環構造の接点にいる存在であることが示唆される。
…というわけで興味のある人は見てくだされ。
『未来篇』の個人的な感想を付け加えると、物語はきれいに終わるのだが、あまりにもきれいに終わりすぎて物足りない。もう少し見る側があれこれ想像できる余地がほしかった。
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